ロード・オブ・ウォー [映画感想−ら]
この数年、なぜかニコラス・ケイジの作品に手が伸びなくなっています。
一番最近観たのは『ニコラス・ケイジのウェザーマン』・・・でもこれは面白かった。
そう、観ると面白いし、ニコラス・ケイジやっぱりいいなあと思うのですが。
なんだか彼のキャラクターがどれも同じような気がしたり、
そのキャラにただ依存してるだけのような気もしたり。
『ナショナル・トレジャー』とか『ワールド・トレード・センター』のような、
いわゆる彼のハリウッド大作的なものに特に興味が持てず、
この作品もその手のものと同じかと思い、敬遠していましたが、
実際に観てみるとだいぶイメージが違いました。
考えてみれば、こんな危険な内容の作品をハリウッドでおおっぴらに作れるわけはないかも知れません。
ウクライナ移民のユーリー・オルロフ(ニコラス・ケイジ)。
NYで両親が開いたレストランを弟ヴィタリー(ジャレッド・レト)とともに手伝っていた彼は、
ある日、ギャング同士の銃撃戦に遭遇します。
この事件に衝撃を受けたユーリーは、武器売買をビジネスにすることを思いつきます。
ヴィタリーをパートナーにして始めた商売に、ユーリーは天性の才能を発揮。
みるみる頭角を現し、やがて世界有数の武器商人へと成長していきますが・・・。
戦争の神様・・・なのか?
ユーリーは常に自分の利益を得ることのみを考えて生きています。
彼が売買で扱う武器がどのように使われるか、その結果がどうなるかについてまったく興味がありません。
それはどう考えても人として許せないことです。
けれどおそらく、彼に悪いことをしているという自覚はないでしょう。
一方に大量に余った武器がある。そしてそれを必要とするもう一方の国がある。
その橋渡しをすることに何の問題があるのか、と。
"武器"を例えば"食料"なんて言葉に代えれば人道的行動となるわけだし。
それが商売になるのであれば、それは資本主義の基本であるわけで。
また、ずっと片思いだったエヴァ(ブリジット・モイナハン)との出会いをセッティングし、
結婚までこぎ着けてしまいますが、彼女には一切自分の商売のことは語りません。
”出会いをセッティング”までは、お金持ちのロマンティックな演出でもあり得る話かも知れませんが、
彼女を騙していることには違いなく、ですがこのことにも彼に罪の意識はありません。
エヴァを手に入れること、それが彼の純粋な目的だったのだから。
そもそも、ユーリーの一家はユダヤ系であると偽ってウクライナからアメリカへ渡ってきており、
ずっと身分を偽って生きてきました。
そんなことも、彼の性格形成に少なからず影響しているのかも知れません。
けれども、一緒に仕事を始めた弟のヴィタリーは、兄とはずいぶん性格が違います。
たびたび遭遇する危険な状況、目撃する悲惨な現状から逃げるようにドラッグに走ってしまいます。
何度もリハビリ施設を出入りするヴィタリーは、
見た目にはユーリーより人生の落伍者に見えるかも知れません。
でも、彼の感覚こそ人としては正しいはずなのです。
ヴィタリーの心の中は
ユーリーを追い続けるインターポールのジャック(イーサン・ホーク)。
何度も追いついては、ユーリーの巧みな偽装や理屈の前に、逮捕の機会を逃します。
貨物機で武器を輸送中に戦闘機で追跡、ユーリーは仕方なくアフリカの平野に不時着しますが、
ジャックたちが来る前になんとか武器を”処分”(このシーンは実に面白くかつ恐ろしい!)、
ようやく到着したジャックに手錠をかけられ、その場に一晩放置されることになります。
「24時間お前を拘束することで、武器の犠牲者たちの死を24時間先延ばしにできる」
とジャックは言って立ち去ります。
ものすごく説得力のある言葉。でも本当に犠牲者たちにとって救いなのかどうか私にはわかりません。
ユーリーにしてみれば、そんな24時間の先延ばしなど何の意味もないと思ったのではないでしょうか。
彼のそばで地元住民によって見事に解体されてしまう貨物機。
荒野で死んだ動物が朽ち果てたりハイエナなどに食い尽くされたりして、
自然に還っていくさまを表したかのような映像。
人の死も自然の摂理であり、死に方やタイミングに違いはあってもいつか必ず死ぬ。
自分がどうなろうと、何をしようがしまいが関係ない。
そんなユーリーの心を表しているようにも思いました。
ジャックはどこまでも追い続けるが・・・
世の中にはいろんな種類のビジネスがあって、そのビジネスで成功する人としない人がいる。
成功はもちろん悪いことではなく、誰もが成功を目指すはずです。
では、その成功の影で犠牲になる人はどうすればいいのか。
それが人の生死に関わることだとしたら。
そこに思いが至らないユーリーという人は、どう弁護しても絶対悪であることは間違いありません。
いや、悪ではなく、何かの大きく欠如した人なのでしょう。
でも本当に憎むべきは、彼のような人間が生まれてしまう背景、需要があるという事実。
そこにこそ目を向けるべきなのでしょう。
資本主義の中で暮らす私たち、アメリカの同盟国である日本に住む私たちも、
この罪に少なからず加担していると言っていい。
じゃあどうすれば?・・・たぶん、何ができるのかは誰もすぐには答えられない。
ただ、こういった事実を知っていることと知らないのとでは、大きな差がある。
そんなことをブラックなユーモアを交えつつ教えてくれたアンドリュー・ニコル、
そして、いつも通りの困り顔で演じたニコラス・ケイジに感謝したいです。
Lord of War(2005 アメリカ)
監督 アンドリュー・ニコル
出演 ニコラス・ケイジ ブリジット・モイナハン ジャレッド・レト イーサン・ホーク イアン・ホルム
一番最近観たのは『ニコラス・ケイジのウェザーマン』・・・でもこれは面白かった。
そう、観ると面白いし、ニコラス・ケイジやっぱりいいなあと思うのですが。
なんだか彼のキャラクターがどれも同じような気がしたり、
そのキャラにただ依存してるだけのような気もしたり。
『ナショナル・トレジャー』とか『ワールド・トレード・センター』のような、
いわゆる彼のハリウッド大作的なものに特に興味が持てず、
この作品もその手のものと同じかと思い、敬遠していましたが、
実際に観てみるとだいぶイメージが違いました。
考えてみれば、こんな危険な内容の作品をハリウッドでおおっぴらに作れるわけはないかも知れません。
ウクライナ移民のユーリー・オルロフ(ニコラス・ケイジ)。
NYで両親が開いたレストランを弟ヴィタリー(ジャレッド・レト)とともに手伝っていた彼は、
ある日、ギャング同士の銃撃戦に遭遇します。
この事件に衝撃を受けたユーリーは、武器売買をビジネスにすることを思いつきます。
ヴィタリーをパートナーにして始めた商売に、ユーリーは天性の才能を発揮。
みるみる頭角を現し、やがて世界有数の武器商人へと成長していきますが・・・。
戦争の神様・・・なのか?
ユーリーは常に自分の利益を得ることのみを考えて生きています。
彼が売買で扱う武器がどのように使われるか、その結果がどうなるかについてまったく興味がありません。
それはどう考えても人として許せないことです。
けれどおそらく、彼に悪いことをしているという自覚はないでしょう。
一方に大量に余った武器がある。そしてそれを必要とするもう一方の国がある。
その橋渡しをすることに何の問題があるのか、と。
"武器"を例えば"食料"なんて言葉に代えれば人道的行動となるわけだし。
それが商売になるのであれば、それは資本主義の基本であるわけで。
また、ずっと片思いだったエヴァ(ブリジット・モイナハン)との出会いをセッティングし、
結婚までこぎ着けてしまいますが、彼女には一切自分の商売のことは語りません。
”出会いをセッティング”までは、お金持ちのロマンティックな演出でもあり得る話かも知れませんが、
彼女を騙していることには違いなく、ですがこのことにも彼に罪の意識はありません。
エヴァを手に入れること、それが彼の純粋な目的だったのだから。
そもそも、ユーリーの一家はユダヤ系であると偽ってウクライナからアメリカへ渡ってきており、
ずっと身分を偽って生きてきました。
そんなことも、彼の性格形成に少なからず影響しているのかも知れません。
けれども、一緒に仕事を始めた弟のヴィタリーは、兄とはずいぶん性格が違います。
たびたび遭遇する危険な状況、目撃する悲惨な現状から逃げるようにドラッグに走ってしまいます。
何度もリハビリ施設を出入りするヴィタリーは、
見た目にはユーリーより人生の落伍者に見えるかも知れません。
でも、彼の感覚こそ人としては正しいはずなのです。
ヴィタリーの心の中は
ユーリーを追い続けるインターポールのジャック(イーサン・ホーク)。
何度も追いついては、ユーリーの巧みな偽装や理屈の前に、逮捕の機会を逃します。
貨物機で武器を輸送中に戦闘機で追跡、ユーリーは仕方なくアフリカの平野に不時着しますが、
ジャックたちが来る前になんとか武器を”処分”(このシーンは実に面白くかつ恐ろしい!)、
ようやく到着したジャックに手錠をかけられ、その場に一晩放置されることになります。
「24時間お前を拘束することで、武器の犠牲者たちの死を24時間先延ばしにできる」
とジャックは言って立ち去ります。
ものすごく説得力のある言葉。でも本当に犠牲者たちにとって救いなのかどうか私にはわかりません。
ユーリーにしてみれば、そんな24時間の先延ばしなど何の意味もないと思ったのではないでしょうか。
彼のそばで地元住民によって見事に解体されてしまう貨物機。
荒野で死んだ動物が朽ち果てたりハイエナなどに食い尽くされたりして、
自然に還っていくさまを表したかのような映像。
人の死も自然の摂理であり、死に方やタイミングに違いはあってもいつか必ず死ぬ。
自分がどうなろうと、何をしようがしまいが関係ない。
そんなユーリーの心を表しているようにも思いました。
ジャックはどこまでも追い続けるが・・・
世の中にはいろんな種類のビジネスがあって、そのビジネスで成功する人としない人がいる。
成功はもちろん悪いことではなく、誰もが成功を目指すはずです。
では、その成功の影で犠牲になる人はどうすればいいのか。
それが人の生死に関わることだとしたら。
そこに思いが至らないユーリーという人は、どう弁護しても絶対悪であることは間違いありません。
いや、悪ではなく、何かの大きく欠如した人なのでしょう。
でも本当に憎むべきは、彼のような人間が生まれてしまう背景、需要があるという事実。
そこにこそ目を向けるべきなのでしょう。
資本主義の中で暮らす私たち、アメリカの同盟国である日本に住む私たちも、
この罪に少なからず加担していると言っていい。
じゃあどうすれば?・・・たぶん、何ができるのかは誰もすぐには答えられない。
ただ、こういった事実を知っていることと知らないのとでは、大きな差がある。
そんなことをブラックなユーモアを交えつつ教えてくれたアンドリュー・ニコル、
そして、いつも通りの困り顔で演じたニコラス・ケイジに感謝したいです。
Lord of War(2005 アメリカ)
監督 アンドリュー・ニコル
出演 ニコラス・ケイジ ブリジット・モイナハン ジャレッド・レト イーサン・ホーク イアン・ホルム
タグ:映画
コメント 0