キルショット [映画感想−か]
昨年『(500)日のサマー』公開まで、
「ジョセフ・ゴードン=レヴィット祭り」を開催!と言いながら、
さっぱり祭りは続かないまま『(500)日〜』はとっくに公開されてしまいました。
家でのDVD鑑賞がなかなか出来なかったり、ほかに観たいモノがたくさんあったりするせいなんですが、
彼の活躍を観たい気持ちに変わりはないので、ぼちぼちと続けていきたいと思っています。
別に誰に頼まれてるわけでも、期待されてるわけでもないし!
そうですね、次回作、クリストファー・ノーランの『インセプション』公開までということで!
というわけで今回は『キルショット』という作品です。ハイまたもお得意のDVDスルーです(涙)。
殺し屋のブラックバード(ミッキー・ローク)は、
ある殺しを依頼され遂行しますが、そこでミスを犯してしまい、
逆にマフィアから命を狙われるようになってしまいます。
そんな時、リッチー(ジョセフ・ゴードン=レヴィット)という1人の若者に出会い、
2人は行動を共にするようになります。
リッチーはある不動産会社を恐喝する計画を立てていて、ブラックバードもそれに付き合うことに。
計画実行の日、2人がその不動産会社に押し入ると目的の社長は不在で、
社員のカーメン(ダイアン・レイン)と彼女の別居中の夫ウェイン(トーマス・ジェーン)しかおらず、
ウェインは彼らをなんとか追い払いますが、ブラックバードは自分の顔を見られたことを危惧し、
この夫婦を殺すため2人を探し出しますが・・・。
非情な殺し屋
監督は『恋におちたシェイクスピア』のジョン・マッデン、そしてこの出演者。
でも観てみるとやっぱりDVDスルーしかないのかなあという感じでした。
原作がエルモア・レナードで、それらしいハードかつクールな展開で、
なかなか面白く見せるところもいくつかあるんですが、
全体にどうもいまひとつふたつ惜しい感じです。
ブラックバードとリッチーの悪党2人組が善良なウェインとカーメン夫妻を追い、
その間4人それぞれのドラマがあったりするわけなんですが、
もう少し4人のキャラクターなりエピソードを掘り下げる何かが欲しかったです。
まずブラックバードが殺し屋としてこれまでどんな風だったのか。
彼は実はネイティブインディアンという設定なのですが、その出自とか背景なんかも、
非アメリカ人の私などからするとちょっと難しくてわかりにくかった。
とことん困ったヤツのリッチーは、なんでこんなにチンピラなのかとか、
リッチーの同棲相手のドナ(ロザリオ・ドーソン)の存在も、
なんでリッチーと一緒にいるのか、なぜ彼と離れられないのかもいまいち伝わらず。
ウェインとカーメン夫婦の不仲の説明ももうちょっと欲しかった。
どれもおそらく原作では描写があるんじゃないかと想像するのですが、
枠内に収めるのは難しかったのかも知れません。
時間をあと10分〜20分伸ばしていいから、細かい描写があると良かったなと思います。
別居中の夫婦
そもそも、これを言ったら実も蓋もないのかも知れませんが、
ブラックバードが夫婦にここまで拘るのがよくわからなかった。
それがブラックバードの殺し屋としての信条なのかも知れませんが、
殺すならさっさと殺せばいいし、その機会はいくらでもあったのに。
まあもちろんそれではドラマになりませんが。
敵に情けをかけたら云々というテーマ?みたいなものも意味をなさなくなるかもだし。
ブラックバードはまたマフィアにも追われているのに、その緊迫感も薄くて、
あまり追い詰められてる感じがないし、なんだかうまい具合に逃げ切っちゃうし。
FBIの指示で名前を変え他所で暮らすことになる夫婦も、
そんなとんでもない状況なのに、これまたどこか緊迫感は少ない。
特にウェインなんか、これで夫婦仲が元に戻れるかもってことばかり考えてるし。
・・・まあそこが彼のキャラクターとして面白いところなんだとは思いますが、
もうちょっと切羽詰まった感じがあっても良かったと思いました。
後半、カーメンが1人監禁されてしまうことになるのですが、
それももっとドキドキしそうなのに、なんとなく物足りない。
いっそブラックバードとカーメンが心が通じ合ったりするとか、
騙し騙されてみたいな展開があってもいいのになあと思いました。
かなりキてます
怖いということでは十分ミッキー・ロークの存在は見た目からして怖いのですが、
もっと徹底的に非情な殺し屋になってもいいと思うし、
あるいは逆に、もう少し人間臭さを見せるかしても良かったかも知れません。
弱みとして引きずってることといえば弟を死なせてしまったことぐらいでしたが。
ダイアン・レインの気丈さとか、トーマス・ジェーンが強いんだか軽いんだかみたいのは、
まあキャラとしては合っていたかなあ。
ロザリオ・ドーソンはなかなか贅沢な使い方で・・・要するにもったいない。
でも彼女の雰囲気はすごく良かったです。
全体に残酷描写とかセクシャルな部分とかがあまりストレートに描かれないので、
そこは上品でキライではないのですが、話が話なので物足りない気もしました。
とりあえず本来の目的のジョセフ・ゴードン=レヴィット君には満足!
どうしようもないチンピラでしゃべりまくりキレまくりで大熱演!
これ、撮影順としては『(500)日〜』の1つ前の作品なのですが、
なんでしょう、あのトム君と同じ人とはとても思えない。タマリマセン!
このリッチー、こんななので当然最初から死亡フラグが立ってて、
実際その通りになるわけですが、その彼の最後のシーンがもう呆れるぐらい唐突で、
ここがこの作品中一番面白かったと言ってもいいです。
こういう非情な見せ場がほかにももうちょっと欲しかったかな。
とにかくいろんなことが惜しい作品でした。
まあ目も当てられないほどヒドイということはないし、
キャストもまあ豪華なので、時間があれば観てもいいかも・・・かな。
Killshot(2008 アメリカ)
監督 ジョン・マッデン
出演 ダイアン・レイン ミッキー・ローク トーマス・ジェーン
ジョセフ・ゴードン・レヴィット ロザリオ・ドーソン ハル・ホルブルック
「ジョセフ・ゴードン=レヴィット祭り」を開催!と言いながら、
さっぱり祭りは続かないまま『(500)日〜』はとっくに公開されてしまいました。
家でのDVD鑑賞がなかなか出来なかったり、ほかに観たいモノがたくさんあったりするせいなんですが、
彼の活躍を観たい気持ちに変わりはないので、ぼちぼちと続けていきたいと思っています。
別に誰に頼まれてるわけでも、期待されてるわけでもないし!
そうですね、次回作、クリストファー・ノーランの『インセプション』公開までということで!
というわけで今回は『キルショット』という作品です。ハイまたもお得意のDVDスルーです(涙)。
殺し屋のブラックバード(ミッキー・ローク)は、
ある殺しを依頼され遂行しますが、そこでミスを犯してしまい、
逆にマフィアから命を狙われるようになってしまいます。
そんな時、リッチー(ジョセフ・ゴードン=レヴィット)という1人の若者に出会い、
2人は行動を共にするようになります。
リッチーはある不動産会社を恐喝する計画を立てていて、ブラックバードもそれに付き合うことに。
計画実行の日、2人がその不動産会社に押し入ると目的の社長は不在で、
社員のカーメン(ダイアン・レイン)と彼女の別居中の夫ウェイン(トーマス・ジェーン)しかおらず、
ウェインは彼らをなんとか追い払いますが、ブラックバードは自分の顔を見られたことを危惧し、
この夫婦を殺すため2人を探し出しますが・・・。
非情な殺し屋
監督は『恋におちたシェイクスピア』のジョン・マッデン、そしてこの出演者。
でも観てみるとやっぱりDVDスルーしかないのかなあという感じでした。
原作がエルモア・レナードで、それらしいハードかつクールな展開で、
なかなか面白く見せるところもいくつかあるんですが、
全体にどうもいまひとつふたつ惜しい感じです。
ブラックバードとリッチーの悪党2人組が善良なウェインとカーメン夫妻を追い、
その間4人それぞれのドラマがあったりするわけなんですが、
もう少し4人のキャラクターなりエピソードを掘り下げる何かが欲しかったです。
まずブラックバードが殺し屋としてこれまでどんな風だったのか。
彼は実はネイティブインディアンという設定なのですが、その出自とか背景なんかも、
非アメリカ人の私などからするとちょっと難しくてわかりにくかった。
とことん困ったヤツのリッチーは、なんでこんなにチンピラなのかとか、
リッチーの同棲相手のドナ(ロザリオ・ドーソン)の存在も、
なんでリッチーと一緒にいるのか、なぜ彼と離れられないのかもいまいち伝わらず。
ウェインとカーメン夫婦の不仲の説明ももうちょっと欲しかった。
どれもおそらく原作では描写があるんじゃないかと想像するのですが、
枠内に収めるのは難しかったのかも知れません。
時間をあと10分〜20分伸ばしていいから、細かい描写があると良かったなと思います。
別居中の夫婦
そもそも、これを言ったら実も蓋もないのかも知れませんが、
ブラックバードが夫婦にここまで拘るのがよくわからなかった。
それがブラックバードの殺し屋としての信条なのかも知れませんが、
殺すならさっさと殺せばいいし、その機会はいくらでもあったのに。
まあもちろんそれではドラマになりませんが。
敵に情けをかけたら云々というテーマ?みたいなものも意味をなさなくなるかもだし。
ブラックバードはまたマフィアにも追われているのに、その緊迫感も薄くて、
あまり追い詰められてる感じがないし、なんだかうまい具合に逃げ切っちゃうし。
FBIの指示で名前を変え他所で暮らすことになる夫婦も、
そんなとんでもない状況なのに、これまたどこか緊迫感は少ない。
特にウェインなんか、これで夫婦仲が元に戻れるかもってことばかり考えてるし。
・・・まあそこが彼のキャラクターとして面白いところなんだとは思いますが、
もうちょっと切羽詰まった感じがあっても良かったと思いました。
後半、カーメンが1人監禁されてしまうことになるのですが、
それももっとドキドキしそうなのに、なんとなく物足りない。
いっそブラックバードとカーメンが心が通じ合ったりするとか、
騙し騙されてみたいな展開があってもいいのになあと思いました。
かなりキてます
怖いということでは十分ミッキー・ロークの存在は見た目からして怖いのですが、
もっと徹底的に非情な殺し屋になってもいいと思うし、
あるいは逆に、もう少し人間臭さを見せるかしても良かったかも知れません。
弱みとして引きずってることといえば弟を死なせてしまったことぐらいでしたが。
ダイアン・レインの気丈さとか、トーマス・ジェーンが強いんだか軽いんだかみたいのは、
まあキャラとしては合っていたかなあ。
ロザリオ・ドーソンはなかなか贅沢な使い方で・・・要するにもったいない。
でも彼女の雰囲気はすごく良かったです。
全体に残酷描写とかセクシャルな部分とかがあまりストレートに描かれないので、
そこは上品でキライではないのですが、話が話なので物足りない気もしました。
とりあえず本来の目的のジョセフ・ゴードン=レヴィット君には満足!
どうしようもないチンピラでしゃべりまくりキレまくりで大熱演!
これ、撮影順としては『(500)日〜』の1つ前の作品なのですが、
なんでしょう、あのトム君と同じ人とはとても思えない。タマリマセン!
このリッチー、こんななので当然最初から死亡フラグが立ってて、
実際その通りになるわけですが、その彼の最後のシーンがもう呆れるぐらい唐突で、
ここがこの作品中一番面白かったと言ってもいいです。
こういう非情な見せ場がほかにももうちょっと欲しかったかな。
とにかくいろんなことが惜しい作品でした。
まあ目も当てられないほどヒドイということはないし、
キャストもまあ豪華なので、時間があれば観てもいいかも・・・かな。
Killshot(2008 アメリカ)
監督 ジョン・マッデン
出演 ダイアン・レイン ミッキー・ローク トーマス・ジェーン
ジョセフ・ゴードン・レヴィット ロザリオ・ドーソン ハル・ホルブルック
コララインとボタンの魔女 [映画感想−か]
愛して止まない『ナイトメアー・ビフォア・クリスマス』のヘンリー・セリック新作。
といってもなかなか日本公開の話が出てこなくて本当にやきもきしていました。
11歳の少女コララインは両親とともに、
郊外にあるピンクパレスという古いアパートに引っ越して来たばかり。
友だちもいないし、両親は仕事ばかりで彼女にかまってくれず退屈していました。
ある日、彼女は家の中で鍵のかかった小さな扉を発見します。
母親に頼んで開けてもらうと中はレンガで塞がれていました。
しかしその夜、眠っていたコララインはふいに目を覚まし、
ネズミたちが例の小さな扉に入って行くのを目撃します。
扉を開くとそこは長いトンネル。そのトンネルを抜けると、
なぜか元の部屋にそっくりな場所へ出てしまいます。
そして、目がボタンになった両親が彼女に優しく接してくれます。
昼間とは違う優しい両親との時間が楽しいコララインでしたが・・・。
コラライン危機一髪!
待って待って待ちこがれ過ぎたのがアダにならないといいななんて思いながら、
始まってみるともう、完全に入り込んでしまいました。
大好物のストップモーションアニメ、それが3Dで!
冒頭の人形を作る(正確には作り直している)針で出来たアヤシイ指、
糸や布目、中綿の毛羽立った感じが本当に美しくリアルで、
その人形がポーンと放り出される夜空のダークさにドキドキ。
コララインなどの人間の造形が、最初スチールで見たときは、
なんだかアニメチックに感じて、はっきり言ってカワイゲがないと思っていました。
でも映画が始まってみるとそんなことは全然なくて、
ナマイキそうだったりあどけなかったり寂しげだったりと実に表情豊か。
ほかのキャラクターも、例えば両親のくたびれ方なんてリアルでオカシイし、
その分もう一方の両親の怪しさが際立ちます。
大家さんの孫ワイビーはいたずら少年っぽくてこれまたイイ。
その一方、上階に住んでいるロシア人のボビンスキーや、
地階に住む元女優のミス・スピンクとミス・フォーシブルは、
かなりデフォルメされていて、これはこれでまたチャーミング。
ワイビーは口は悪いけど
ストーリーは、親にかまってもらえない少女の寂しさと、
そこからくる夢想世界という、まあよくあるようなといえばそうなのですが、
少女の甘い夢が徐々に恐怖感へと変わっていくダークさが、
十分大人の鑑賞に耐えうるというか、むしろ子どもにはちょっと怖すぎるかも、と思いました。
コララインにとってもうひとつの世界は楽しいけれど、そこにずっと居るためには、
瞳をボタンに変えなくてはならないと両親に言われてしまいます。
当然のように怯んで、そこから逃げ出すコラライン。
目をボタンに替えさせられる恐怖・・・それはイコール、瞳に針を突き刺されるということ。
その痛みを想像させられる恐怖は、ちょっと私にも耐えられないものです。
そして逆にボタンの目を持つ人を見ると、その瞳はまったくの無表情であり、
どんなに優しく接してくれても、まさに目が笑っていない人は不気味で恐ろしい。
そして、ピンクパレスにまつわる秘密、さらに本物の両親の危機、と、
幼い少女にとって重すぎる試練は続き、コララインはついに、
"ボタンの魔女"と闘わなくてはならなくなります。
まさにハラハラドキドキの連続!
しかし残念ながら、画面の端々まで大好きな世界で、
何時間でもずっと浸っていたい!というぐらいの気持だったのですが、
鑑賞中、だんだん苦痛になって、早く終わって欲しい!という事態になってしまいました。
今作は基本的に3D日本語吹き替えのみの公開で、字幕版公開は国内でたった3館のみ。
私はどうしても字幕で観たかったので、その内の1つのTOHOシネマズ六本木ヒルズで観たのですが、
このTOHOシネマズの3Dメガネは、いくつかある3D方式の中で一番重く、
そのため、途中からメガネのツルが当たる耳のあたりが痛くなってしまい、
だんだん映画に集中出来なくなってしまいました。
『カールじいさんの空飛ぶ家』で一度経験していたので、
出来ればTOHOシネマズの3Dは避けたいと思っていたのですが、
ほかに選択肢がないので仕方なく、で、やはりつらい思いをしてしまったということです。
別のママとパパは優しいけど
そんな思いをしながらでしたが、それでも3Dを意識して作られたという映像は、
夢のように美しく楽しかったです。
これまで『カールじいさんの空飛ぶ家』『アバター』と来て、
私の3D体験も3作目となったのですが、『カールじいさん〜』はフルCGアニメ、
『アバター』はCG+実写、そして今回はストップモーションアニメと、
それぞれベースの手法が違うので比較するのはちょっと無理がありますが、
ストップモーションアニメと3Dの相性はとても良かったと思いました。
宙を舞う鳥やトンボ、大量に飛び出すネズミ、
サーカスのシーンはスピード感があって見応えがあったし、
"向こうの部屋"に行くトンネルの奥行き感、
空の上から見下ろす花でいっぱいの庭の造形など、
本当にいつまでも観ていたかった。ああこのメガネさえなければ!
ソフトが発売されたらたぶん繰り返し繰り返し観ることになると思います。
でも家で観る場合、赤青の3Dメガネになっちゃうのかな?
うーん、でも3Dじゃなくてもこの予告編の映像でも十分美しいし。
ああ本当にコマ撮りアニメ好物過ぎです!
あ、あとひとつ言い忘れてた・・・黒猫!その動き、そのセリフ、最高!
Coraline(2009 アメリカ)
監督 ヘンリー・セリック
声の出演 ダコタ・ファニング テリー・ハッチャー ジェニファー・ソーンダース ドーン・フレンチ
キース・デイヴィッド ジョン・ホッジマン ロバート・ベイリー・Jr. イアン・マクシェーン
といってもなかなか日本公開の話が出てこなくて本当にやきもきしていました。
11歳の少女コララインは両親とともに、
郊外にあるピンクパレスという古いアパートに引っ越して来たばかり。
友だちもいないし、両親は仕事ばかりで彼女にかまってくれず退屈していました。
ある日、彼女は家の中で鍵のかかった小さな扉を発見します。
母親に頼んで開けてもらうと中はレンガで塞がれていました。
しかしその夜、眠っていたコララインはふいに目を覚まし、
ネズミたちが例の小さな扉に入って行くのを目撃します。
扉を開くとそこは長いトンネル。そのトンネルを抜けると、
なぜか元の部屋にそっくりな場所へ出てしまいます。
そして、目がボタンになった両親が彼女に優しく接してくれます。
昼間とは違う優しい両親との時間が楽しいコララインでしたが・・・。
コラライン危機一髪!
待って待って待ちこがれ過ぎたのがアダにならないといいななんて思いながら、
始まってみるともう、完全に入り込んでしまいました。
大好物のストップモーションアニメ、それが3Dで!
冒頭の人形を作る(正確には作り直している)針で出来たアヤシイ指、
糸や布目、中綿の毛羽立った感じが本当に美しくリアルで、
その人形がポーンと放り出される夜空のダークさにドキドキ。
コララインなどの人間の造形が、最初スチールで見たときは、
なんだかアニメチックに感じて、はっきり言ってカワイゲがないと思っていました。
でも映画が始まってみるとそんなことは全然なくて、
ナマイキそうだったりあどけなかったり寂しげだったりと実に表情豊か。
ほかのキャラクターも、例えば両親のくたびれ方なんてリアルでオカシイし、
その分もう一方の両親の怪しさが際立ちます。
大家さんの孫ワイビーはいたずら少年っぽくてこれまたイイ。
その一方、上階に住んでいるロシア人のボビンスキーや、
地階に住む元女優のミス・スピンクとミス・フォーシブルは、
かなりデフォルメされていて、これはこれでまたチャーミング。
ワイビーは口は悪いけど
ストーリーは、親にかまってもらえない少女の寂しさと、
そこからくる夢想世界という、まあよくあるようなといえばそうなのですが、
少女の甘い夢が徐々に恐怖感へと変わっていくダークさが、
十分大人の鑑賞に耐えうるというか、むしろ子どもにはちょっと怖すぎるかも、と思いました。
コララインにとってもうひとつの世界は楽しいけれど、そこにずっと居るためには、
瞳をボタンに変えなくてはならないと両親に言われてしまいます。
当然のように怯んで、そこから逃げ出すコラライン。
目をボタンに替えさせられる恐怖・・・それはイコール、瞳に針を突き刺されるということ。
その痛みを想像させられる恐怖は、ちょっと私にも耐えられないものです。
そして逆にボタンの目を持つ人を見ると、その瞳はまったくの無表情であり、
どんなに優しく接してくれても、まさに目が笑っていない人は不気味で恐ろしい。
そして、ピンクパレスにまつわる秘密、さらに本物の両親の危機、と、
幼い少女にとって重すぎる試練は続き、コララインはついに、
"ボタンの魔女"と闘わなくてはならなくなります。
まさにハラハラドキドキの連続!
しかし残念ながら、画面の端々まで大好きな世界で、
何時間でもずっと浸っていたい!というぐらいの気持だったのですが、
鑑賞中、だんだん苦痛になって、早く終わって欲しい!という事態になってしまいました。
今作は基本的に3D日本語吹き替えのみの公開で、字幕版公開は国内でたった3館のみ。
私はどうしても字幕で観たかったので、その内の1つのTOHOシネマズ六本木ヒルズで観たのですが、
このTOHOシネマズの3Dメガネは、いくつかある3D方式の中で一番重く、
そのため、途中からメガネのツルが当たる耳のあたりが痛くなってしまい、
だんだん映画に集中出来なくなってしまいました。
『カールじいさんの空飛ぶ家』で一度経験していたので、
出来ればTOHOシネマズの3Dは避けたいと思っていたのですが、
ほかに選択肢がないので仕方なく、で、やはりつらい思いをしてしまったということです。
別のママとパパは優しいけど
そんな思いをしながらでしたが、それでも3Dを意識して作られたという映像は、
夢のように美しく楽しかったです。
これまで『カールじいさんの空飛ぶ家』『アバター』と来て、
私の3D体験も3作目となったのですが、『カールじいさん〜』はフルCGアニメ、
『アバター』はCG+実写、そして今回はストップモーションアニメと、
それぞれベースの手法が違うので比較するのはちょっと無理がありますが、
ストップモーションアニメと3Dの相性はとても良かったと思いました。
宙を舞う鳥やトンボ、大量に飛び出すネズミ、
サーカスのシーンはスピード感があって見応えがあったし、
"向こうの部屋"に行くトンネルの奥行き感、
空の上から見下ろす花でいっぱいの庭の造形など、
本当にいつまでも観ていたかった。ああこのメガネさえなければ!
ソフトが発売されたらたぶん繰り返し繰り返し観ることになると思います。
でも家で観る場合、赤青の3Dメガネになっちゃうのかな?
うーん、でも3Dじゃなくてもこの予告編の映像でも十分美しいし。
ああ本当にコマ撮りアニメ好物過ぎです!
あ、あとひとつ言い忘れてた・・・黒猫!その動き、そのセリフ、最高!
Coraline(2009 アメリカ)
監督 ヘンリー・セリック
声の出演 ダコタ・ファニング テリー・ハッチャー ジェニファー・ソーンダース ドーン・フレンチ
キース・デイヴィッド ジョン・ホッジマン ロバート・ベイリー・Jr. イアン・マクシェーン
コララインとボタンの魔女 3Dプレミアム・エディション<2枚組>(初回限定生産) [DVD]
- 出版社/メーカー: Happinet(SB)(D)
- メディア: DVD
コララインとボタンの魔女 3Dプレミアム・エディション<2枚組>(初回限定生産) [Blu-ray]
- 出版社/メーカー: Happinet(SB)(D)
- メディア: Blu-ray
かいじゅうたちのいるところ [映画感想−か]
かいじゅう!
最初にスチールを見た時の衝撃から半年あまり、
ようやく会えたね、かいじゅう!
マックス(マックス・レコーズ)は苛立っていました。
姉(ペピータ・エメニック)は近頃友だちとばかり遊んでかまってくれないし、
母親(キャサリン・キーナー)も仕事で忙しい。
ある日、ついに母親と衝突してしまったマックスは家を飛び出してしまいます。
海岸で見つけたボートに乗り込み大海原へと漕ぎ出すマックス。
やがてボートはどこかの島へとたどり着きます。
そこは、大きなからだのかいじゅうたちがいっぱい住む島。マックスはそこで王様となりますが・・・。
冒頭でお姉ちゃんにかまってもらえず大暴れするマックスくんがまさにかいじゅう!
一人遊びの様子や後先考えない暴れっぷりがまったくもって子どもで、
くやしい気持ちを家中をめちゃくちゃにすることで発散させ、そしていっそう落ち込む。
彼の孤独さが痛いほど伝わってきます。
その夜、猫のように母親の足元に転がって母親のストッキングの先っぽを引っ張り、
母親に促されて物語を語り出すマックス。彼が語る物語を聞き書きする母親。
このシーンの暖かさに早くも涙がツツーッと流れてしまいました。
けれど数日後、マックスは母親と諍いを起こしてしまいます。
母親はボーイフレンド(マーク・ラファロ!)らしき男性と楽しげにしていてマックスにかまわず、
口を開けば小言ばかり・・・またもマックス爆発!思わず家を飛び出してしまうのです。
そうしてお待ちかね、かいじゅうの登場!
森の向こう、木々の間に動くかいじゅうのシルエットが見えた時の興奮!
しかもマックスに負けず劣らずの大暴れ!
マックスを見て驚いたかいじゅうたちはいきなり「食べちゃおうか」なんて言い出して結構コワイ。
自分が子どもの時にこれを見たら、結構なトラウマになりそうです。
マックスは機転を利かし「ボクは王様だ!」と言って食べられる危機を回避しますが、
それでもこのあとどうなっちゃうんだろうとドキドキです。
王様と認められたマックスは初仕事として、しもべとなるかいじゅうたちに完璧な命令を出します。
それは「かいじゅうおどりをはじめよう!」ここからの高揚感といったら!
踊って走って大暴れ、やがてみんなで重なって眠る幸せ。
しかしかいじゅうの世界も実はいろんな問題を抱えていて、
なかなか難しい"かいじゅう"関係に、マックスも楽しい思いばかりしていられなくなります。
そのうち、マックスの王様としての行動を批判するものが出てきたり、
マックスが王様であることを疑い出すものも出てきたり。
マックスと一番気が合う、かいじゅうたちのリーダー的存在のキャロル(ジェームズ・ガンドルフィーニ)。
楽しいヤツだしみんなのことを一生懸命考えているけれど、何かあるとすぐに暴れ出してしまう。
そんなところが実にマックスにそっくりなのですが、これはそんな自分にそっくりな他者に接することで、
しかも自分が王様という上の立場に立つことによってマックスは他者との関わりを学ぶという、
少年の成長物語・・・と言ってしまうとそれまでかも知れませんが、
人間社会の写し絵的なかいじゅう世界を、誰もが思い浮かべ自分に当てはめてみることは、
大人であっても必要かもと思わせる、かいじゅう世界の奥深さのようなものも伝わってきました。
それぐらい、かいじゅう世界はリアルでドロドロしていてかなりめんどくさそう!
みんなで笑って踊っておしくらまんじゅうしてるのは楽しい。
気に入らないものは破壊していくのも楽しい。
でも楽しい時間はいつまでも続かない。破壊はその瞬間快感は得られても、
同じくらいかそれ以上の喪失感を得てしまいます。
そんなことを自分のイマジネーションの中で学んだマックス。
こんな風に大人になれる少年はそうはいないと思うし、これはやはり大人から見た、
成長するとはこうであって欲しい、という世界かなとも思いました。
彼がラストで母親を見つめる眼差しは「ボクがしっかりしなきゃ」なんていう次元では既になかった。
それが余計に胸にググッと迫ってきたのですが。
私は原作は未読なので解説などから得た情報によると、
原作ではかいじゅうたちには名前もセリフも無いそうで、
設定やストーリーは大部分スパイク・ジョーンズの作り出したものなのだそうです。
それも、かなり自身の経験に重ね合わされているらしく、
母と姉の3人家族(原作には姉は登場しない)という構成など、
相当マックス=スパイク・ジョーンズなのだそう。
登場人物を少し遠くから見つめるような、冷静なのに暖かい不安定なカメラワークが、
いかにもスパイク・ジョーンズタッチ。
抜けるような青空やきらめく砂粒の砂漠、暖かな光を差す夕日など、
映像の美しさも実に心地よかったです。
それにしてもかいじゅうの造形の素晴らしさは思った以上でした。
一人一人個性的で、切ない表情や鳴き声に何度も何度も胸がいっぱいになり、
マックスとの別れのシーンなど、そのリアルさにもう涙ボロボロ。
そして何と言ってもマックス少年演じるマックスの素晴らしさ!
これは彼自身の俳優としての才能も大いにあると思いますが、
やはり相手にするかいじゅうが本物!というのが大きいと思いました。
マックス君がどんなにキャリアのある天才子役だったとしても、
ブルーバックで演じさせられるより、ちゃんと相手がいて、
彼らの重さやモシャモシャ感を感じながら演じる方が当然リアルであるはず。
かいじゅうを100%CGにせず着ぐるみにしたのは本当に正解だったと思います。
『アバター』のような超最先端映像ももちろん素晴らしく意味のあることですが、
このリアルなフェイクこそ映画的。何倍も何倍も満足感を得られました。
Where the Wild Things Are(2009 アメリカ)
監督 スパイク・ジョーンズ
出演 マックス・レコーズ キャサリン・キーナー マーク・ラファロ
声の出演 ジェームズ・ガンドルフィーニ ポール・ダノ キャサリン・オハラ
フォレスト・ウィッテカー クリス・クーパー ローレン・アンブローズ
最初にスチールを見た時の衝撃から半年あまり、
ようやく会えたね、かいじゅう!
マックス(マックス・レコーズ)は苛立っていました。
姉(ペピータ・エメニック)は近頃友だちとばかり遊んでかまってくれないし、
母親(キャサリン・キーナー)も仕事で忙しい。
ある日、ついに母親と衝突してしまったマックスは家を飛び出してしまいます。
海岸で見つけたボートに乗り込み大海原へと漕ぎ出すマックス。
やがてボートはどこかの島へとたどり着きます。
そこは、大きなからだのかいじゅうたちがいっぱい住む島。マックスはそこで王様となりますが・・・。
冒頭でお姉ちゃんにかまってもらえず大暴れするマックスくんがまさにかいじゅう!
一人遊びの様子や後先考えない暴れっぷりがまったくもって子どもで、
くやしい気持ちを家中をめちゃくちゃにすることで発散させ、そしていっそう落ち込む。
彼の孤独さが痛いほど伝わってきます。
その夜、猫のように母親の足元に転がって母親のストッキングの先っぽを引っ張り、
母親に促されて物語を語り出すマックス。彼が語る物語を聞き書きする母親。
このシーンの暖かさに早くも涙がツツーッと流れてしまいました。
けれど数日後、マックスは母親と諍いを起こしてしまいます。
母親はボーイフレンド(マーク・ラファロ!)らしき男性と楽しげにしていてマックスにかまわず、
口を開けば小言ばかり・・・またもマックス爆発!思わず家を飛び出してしまうのです。
そうしてお待ちかね、かいじゅうの登場!
森の向こう、木々の間に動くかいじゅうのシルエットが見えた時の興奮!
しかもマックスに負けず劣らずの大暴れ!
マックスを見て驚いたかいじゅうたちはいきなり「食べちゃおうか」なんて言い出して結構コワイ。
自分が子どもの時にこれを見たら、結構なトラウマになりそうです。
マックスは機転を利かし「ボクは王様だ!」と言って食べられる危機を回避しますが、
それでもこのあとどうなっちゃうんだろうとドキドキです。
王様と認められたマックスは初仕事として、しもべとなるかいじゅうたちに完璧な命令を出します。
それは「かいじゅうおどりをはじめよう!」ここからの高揚感といったら!
踊って走って大暴れ、やがてみんなで重なって眠る幸せ。
しかしかいじゅうの世界も実はいろんな問題を抱えていて、
なかなか難しい"かいじゅう"関係に、マックスも楽しい思いばかりしていられなくなります。
そのうち、マックスの王様としての行動を批判するものが出てきたり、
マックスが王様であることを疑い出すものも出てきたり。
マックスと一番気が合う、かいじゅうたちのリーダー的存在のキャロル(ジェームズ・ガンドルフィーニ)。
楽しいヤツだしみんなのことを一生懸命考えているけれど、何かあるとすぐに暴れ出してしまう。
そんなところが実にマックスにそっくりなのですが、これはそんな自分にそっくりな他者に接することで、
しかも自分が王様という上の立場に立つことによってマックスは他者との関わりを学ぶという、
少年の成長物語・・・と言ってしまうとそれまでかも知れませんが、
人間社会の写し絵的なかいじゅう世界を、誰もが思い浮かべ自分に当てはめてみることは、
大人であっても必要かもと思わせる、かいじゅう世界の奥深さのようなものも伝わってきました。
それぐらい、かいじゅう世界はリアルでドロドロしていてかなりめんどくさそう!
みんなで笑って踊っておしくらまんじゅうしてるのは楽しい。
気に入らないものは破壊していくのも楽しい。
でも楽しい時間はいつまでも続かない。破壊はその瞬間快感は得られても、
同じくらいかそれ以上の喪失感を得てしまいます。
そんなことを自分のイマジネーションの中で学んだマックス。
こんな風に大人になれる少年はそうはいないと思うし、これはやはり大人から見た、
成長するとはこうであって欲しい、という世界かなとも思いました。
彼がラストで母親を見つめる眼差しは「ボクがしっかりしなきゃ」なんていう次元では既になかった。
それが余計に胸にググッと迫ってきたのですが。
私は原作は未読なので解説などから得た情報によると、
原作ではかいじゅうたちには名前もセリフも無いそうで、
設定やストーリーは大部分スパイク・ジョーンズの作り出したものなのだそうです。
それも、かなり自身の経験に重ね合わされているらしく、
母と姉の3人家族(原作には姉は登場しない)という構成など、
相当マックス=スパイク・ジョーンズなのだそう。
登場人物を少し遠くから見つめるような、冷静なのに暖かい不安定なカメラワークが、
いかにもスパイク・ジョーンズタッチ。
抜けるような青空やきらめく砂粒の砂漠、暖かな光を差す夕日など、
映像の美しさも実に心地よかったです。
それにしてもかいじゅうの造形の素晴らしさは思った以上でした。
一人一人個性的で、切ない表情や鳴き声に何度も何度も胸がいっぱいになり、
マックスとの別れのシーンなど、そのリアルさにもう涙ボロボロ。
そして何と言ってもマックス少年演じるマックスの素晴らしさ!
これは彼自身の俳優としての才能も大いにあると思いますが、
やはり相手にするかいじゅうが本物!というのが大きいと思いました。
マックス君がどんなにキャリアのある天才子役だったとしても、
ブルーバックで演じさせられるより、ちゃんと相手がいて、
彼らの重さやモシャモシャ感を感じながら演じる方が当然リアルであるはず。
かいじゅうを100%CGにせず着ぐるみにしたのは本当に正解だったと思います。
『アバター』のような超最先端映像ももちろん素晴らしく意味のあることですが、
このリアルなフェイクこそ映画的。何倍も何倍も満足感を得られました。
Where the Wild Things Are(2009 アメリカ)
監督 スパイク・ジョーンズ
出演 マックス・レコーズ キャサリン・キーナー マーク・ラファロ
声の出演 ジェームズ・ガンドルフィーニ ポール・ダノ キャサリン・オハラ
フォレスト・ウィッテカー クリス・クーパー ローレン・アンブローズ
かいじゅうたちのいるところ ブルーレイ&DVDセット(初回限定生産) [Blu-ray]
- 出版社/メーカー: ワーナー・ホーム・ビデオ
- メディア: Blu-ray
(500)日のサマー [映画感想−か]
「これはラブストーリーではない」そう言ってこの物語は始まります。
とは言ってもこれはラブストーリー以外の何ものでもない、正確に言えば恋愛についての物語。
一見ポップな映像と音楽でオシャレ映画のようなフリをしながら、
意図的な"時系列バラし"で痛みと甘さを交互に繰り出す手法に、
傷だらけにされること必至の傑作です。
グリーティングカード会社で働くトム(ジョセフ・ゴードン=レヴィット)は、
同じ会社で働くサマー(ズーイー・デシャネル)と付き合っていましたが、
最近彼女との関係がうまくいかなくなり落ち込んでいました。
友人たちになぐさめられても立ち直れないトム。なぜこんなことになってしまったのか?
トムはサマーと初めて出会った日を思い出し、理由を探し始めます。
(Day 59)
何度も当ブログで触れてきたように個人的にものすごく期待していた作品。
既に観た人、特に男性陣の衝撃の受け具合が尋常じゃなくて、
いったいどんなことになってるのかと思えば、確かにコレは相当にキツイ。
ラブコメディなんて言葉で安易に片付けられるようなものではありませんでした。
主人公が男であるため、どうしても男性の方が身につまされるようですが、
これ、男女が逆転したって十分つらいだろうし、
誰でも一度は程度の違いはあっても似たような経験をしていそうな話です。
運命の恋を信じるトムと信じないサマー。
恋愛に対する考え方や思いは人それぞれで、そこに正解も間違いもない。
恋愛の成立に同じ価値観や嗜好などがどれほど必要なのかもわからないけど、
この広い地球上でいろんな条件をクリアして2人の人間が出会って恋に落ちるなんて、
確かに奇跡と言っていいぐらいかも知れない。それなのに誰もが容易に恋に落ちているけれど。
こんなに誰かを好きになるなんて!こんなに誰かに愛されるなんて!
けれどそんな幸せな日々も長くは続かず、どちらかが、あるいは両方が互いに興味を無くしていく。
そんな恋愛の実態をサマーはすでになんらかの形で知っていて、
だから愛なんて信じない、信じたくないと思っていたのかも知れない。
・・・でも本当のところは何も知らなかったのだけど。
一方トムは恋愛の何たるかを知ってか知らずか、真っ直ぐに運命の恋を信じて疑わない。
サマーに「本当の愛を知らない」と言うけれど、トムだって知っていたとは言えない。
(Day 31)
サマーが2人の間に引いていた「友だち」という線。
キスもしてセックスもして、同じ時間を共に過ごす2人は普通なら誰が見ても恋人同士。
これが友だち同士というならサマーにとってそれ以上とは?
きっとサマーはその友だちの先を考えたくなくて、ダメになってしまった時に傷つくことが怖くて、
考えることをやめて、そして「運命の恋なんて信じない」という人になってしまっていたのかも知れません。
そんなサマーの気持ちや、どうしてそんな行動を取ってしまうのかが、
私にはズキズキと胸が痛くなるほど伝わって来てしまいました。
「サマーが理解できない」とか「ビッチだ!」などという意見もあるようですが、
私は彼女の行動で理解できなかったところは1つもなかったと言ってもいいぐらいでした。
女がみんなサマーみたいだとは思わないけれど、それほど特別でもないんじゃないでしょうか。
やはり女のほうが感情的に動いてしまいがちだろうし、逆に冷静さも持ち合わせている。
そんな女に振りまわされる男性は気の毒だなあと思いますが。
私がものすごく身につまされ胸が痛くなったところは、
映画『卒業』を観てサマーが号泣するところと、バーで見知らぬ男に絡まれてからの一連の出来事です。
『卒業』での号泣はその瞬間は「ここまで泣くか?」とトム同様とまどうぐらいなんですが、
後になってその時のサマーの心理を思うと、ああ苦しかっただろうなあと本当に胸が痛くなりました。
自分の感情をどうすることも出来なくなるぐらい映画で泣くというのはたびたびあります。
完璧に自分と重なってしまうつらさ。これを今、この人と観てるなんてという思いも相当につらい。
バーのシーンは男が絡んで来る前のトムの言動から完全にトムは間違ってしまっているし、
この流れでの"よかれと思って"の行動は、冷める、と言ってしまってはあまりにトムが不憫すぎるけど、
サマーにとっては自分でもどうすることも出来ないぐらい、
トムに対して重い扉を閉めたくなってしまった瞬間だったと思います。
トムが出ていってしまった後のどうしようもないモヤモヤ感と、結局自分が折れるしかない歯がゆさ。
どうしてあんな風に言ってしまったんだろうという後悔ももちろんあるし、
ここで自分が折れたほうがいいという"計算"(というと語弊があるんですが)もあったりする。
トムにしてみたら本当に災難なことだと思い、同情してしまいますが、
これはもうどうしようもない感情だと思いました。
もう、こういうこと私もありました。本当に。
(Day 141)
トムの純粋さは悪いことではないと思います。多少罪作りではあるかも知れないけれど。
彼は本当に単純にサマーのことが好きだったと思うし、私もサマーの気持ちがわかると言いながらも、
あんな風に真っ直ぐに想われたいなあとも思いました。
けれどやはり恋愛とは、人を愛し愛されるということは、単に楽しい時間を過ごすことや、
同じものを好きだったり笑っていたりするだけではないと思うし。
サマーはあえて先を考えないようにしていたけれど、
実はトムだって今があまりに楽しくて、これから2人はどうなっていくのか、
本当のところは考えてはいなかったんだと思います。
もう永遠に、この楽しい時間が続くのだと思っていたんじゃないのでしょうか。
・・・とまあ、あれこれ思いを巡らせてしまいましたが、
本当にいろんなことを思ってしまい、誰かに語らずにはいられないし、
逆に胸の一番奥深いところに隠しておきたくもなる物語でした。
美しくて痛い、誰もが知っているのに誰も答えを持っていない、
恋愛って本当に難しくてやっかいなものだとしみじみ感じてしまいました。
時系列をバラバラにした構成は本当に素晴らしく、
この演出こそがこの作品を複雑で重みのあるものにしていると思いました。
まさにトムのアタマの中を描いていると言えるバラバラさ加減。
こうしてランダムに描くことで彼がサマーとの関係を反芻する様を表している。
それはまるで人が何かを思い出す時の様子そのもので、そうやって思い出していくたびに、
甘い想いをもう一度感じたり、急に怒りがよみがえり溢れてきたりもして、
そうしてトムはサマーがどんな人だったのか、2人の500日間はどんな時間だったのかを知るのです。
(Day 290)
ああそれにしても、結果的に2人の恋愛に対する考え方は最後に逆転してしまうわけで、
いくらサマーの気持ちがわかると言っても、やはりトムはかわいそう、という結論になるかも知れません。
(あくまでトム目線で見たサマーですから、これをサマー目線で作り直したらまるで違う話になりそうですが。)
でもサマーに出会った経験は確実にトムを成長させ、本来の夢であった建築家への道に進ませることにもなった。
つらい恋の経験は誰でもすべきであり、決してしてソンなことなどない、ということだと思います。
サマーはズーイー・デシャネル以外考えられない、まさに彼女のために作られたかのような役。
彼女のちょっと世の中を斜めに見ているような表情が、サマーという人物を限りなく魅力的にしていました。
そしてジョセフ・ゴードン=レヴィットの素晴らしさと言ったら!
どちらかというと暗かったりアブナかったりする役が多く、素顔もかなり個性的な彼が、
どうしたらこんなにも"男の子"を演じられるのかというぐらい愛らしい。
仕草や表情のすべてが、ああ本当にサマーのことが好きで好きでしょうがないんだろうなという、
とにかく無敵で完璧な説得力でした。
サマーの最後の決定的な一言を聞いた時のあの表情・・・忘れられない!
2人をとりまく友人や同僚たちもみんな良かった。
それとクロエ・モレッツ演じるトムの妹レイチェルとトムのやりとりがまたとてもイイ!
音楽のことにもぜひ触れるべきなんですが、私はほとんど詳しくないので、
その辺は詳しい方にお任せして。私がザ・スミスについて何か言い出せば、
いよいよ話が長くなる上に感情的なことになってしまうので自粛!
とりあえずサントラ盤は必聴!早々に買って持っていたんですが、
観るまで聴かないでガマンしていたので、今は解禁してヘビーローテーション中。
映画のように、あのシーンこのシーンとランダムに思い出しています。
ああ本当に言い足りないことでいっぱい!上映館は少ないですが、ぜひ多くの人に観て欲しいです。
これを観て、うちのめされたり自分はここまでじゃないと安心してみたり、
そして運命と偶然の違いについて思いを巡らせ、
これからの恋愛や過去にした後悔に役立てて欲しいです。
次の幸せな出会いのために。あるいは今の幸せを大切にするために。
(500) Days of Summer(2009 アメリカ)
監督 マーク・ウェブ
出演 ジョセフ・ゴードン=レヴィット ズーイー・デシャネル ジェフリー・エアンド クロエ・モレッツ
マシュー・グレイ・ガブラー クラーク・グレッグ レイチェル・ボストン ミンカ・ケリー
とは言ってもこれはラブストーリー以外の何ものでもない、正確に言えば恋愛についての物語。
一見ポップな映像と音楽でオシャレ映画のようなフリをしながら、
意図的な"時系列バラし"で痛みと甘さを交互に繰り出す手法に、
傷だらけにされること必至の傑作です。
グリーティングカード会社で働くトム(ジョセフ・ゴードン=レヴィット)は、
同じ会社で働くサマー(ズーイー・デシャネル)と付き合っていましたが、
最近彼女との関係がうまくいかなくなり落ち込んでいました。
友人たちになぐさめられても立ち直れないトム。なぜこんなことになってしまったのか?
トムはサマーと初めて出会った日を思い出し、理由を探し始めます。
(Day 59)
何度も当ブログで触れてきたように個人的にものすごく期待していた作品。
既に観た人、特に男性陣の衝撃の受け具合が尋常じゃなくて、
いったいどんなことになってるのかと思えば、確かにコレは相当にキツイ。
ラブコメディなんて言葉で安易に片付けられるようなものではありませんでした。
主人公が男であるため、どうしても男性の方が身につまされるようですが、
これ、男女が逆転したって十分つらいだろうし、
誰でも一度は程度の違いはあっても似たような経験をしていそうな話です。
運命の恋を信じるトムと信じないサマー。
恋愛に対する考え方や思いは人それぞれで、そこに正解も間違いもない。
恋愛の成立に同じ価値観や嗜好などがどれほど必要なのかもわからないけど、
この広い地球上でいろんな条件をクリアして2人の人間が出会って恋に落ちるなんて、
確かに奇跡と言っていいぐらいかも知れない。それなのに誰もが容易に恋に落ちているけれど。
こんなに誰かを好きになるなんて!こんなに誰かに愛されるなんて!
けれどそんな幸せな日々も長くは続かず、どちらかが、あるいは両方が互いに興味を無くしていく。
そんな恋愛の実態をサマーはすでになんらかの形で知っていて、
だから愛なんて信じない、信じたくないと思っていたのかも知れない。
・・・でも本当のところは何も知らなかったのだけど。
一方トムは恋愛の何たるかを知ってか知らずか、真っ直ぐに運命の恋を信じて疑わない。
サマーに「本当の愛を知らない」と言うけれど、トムだって知っていたとは言えない。
(Day 31)
サマーが2人の間に引いていた「友だち」という線。
キスもしてセックスもして、同じ時間を共に過ごす2人は普通なら誰が見ても恋人同士。
これが友だち同士というならサマーにとってそれ以上とは?
きっとサマーはその友だちの先を考えたくなくて、ダメになってしまった時に傷つくことが怖くて、
考えることをやめて、そして「運命の恋なんて信じない」という人になってしまっていたのかも知れません。
そんなサマーの気持ちや、どうしてそんな行動を取ってしまうのかが、
私にはズキズキと胸が痛くなるほど伝わって来てしまいました。
「サマーが理解できない」とか「ビッチだ!」などという意見もあるようですが、
私は彼女の行動で理解できなかったところは1つもなかったと言ってもいいぐらいでした。
女がみんなサマーみたいだとは思わないけれど、それほど特別でもないんじゃないでしょうか。
やはり女のほうが感情的に動いてしまいがちだろうし、逆に冷静さも持ち合わせている。
そんな女に振りまわされる男性は気の毒だなあと思いますが。
私がものすごく身につまされ胸が痛くなったところは、
映画『卒業』を観てサマーが号泣するところと、バーで見知らぬ男に絡まれてからの一連の出来事です。
『卒業』での号泣はその瞬間は「ここまで泣くか?」とトム同様とまどうぐらいなんですが、
後になってその時のサマーの心理を思うと、ああ苦しかっただろうなあと本当に胸が痛くなりました。
自分の感情をどうすることも出来なくなるぐらい映画で泣くというのはたびたびあります。
完璧に自分と重なってしまうつらさ。これを今、この人と観てるなんてという思いも相当につらい。
バーのシーンは男が絡んで来る前のトムの言動から完全にトムは間違ってしまっているし、
この流れでの"よかれと思って"の行動は、冷める、と言ってしまってはあまりにトムが不憫すぎるけど、
サマーにとっては自分でもどうすることも出来ないぐらい、
トムに対して重い扉を閉めたくなってしまった瞬間だったと思います。
トムが出ていってしまった後のどうしようもないモヤモヤ感と、結局自分が折れるしかない歯がゆさ。
どうしてあんな風に言ってしまったんだろうという後悔ももちろんあるし、
ここで自分が折れたほうがいいという"計算"(というと語弊があるんですが)もあったりする。
トムにしてみたら本当に災難なことだと思い、同情してしまいますが、
これはもうどうしようもない感情だと思いました。
もう、こういうこと私もありました。本当に。
(Day 141)
トムの純粋さは悪いことではないと思います。多少罪作りではあるかも知れないけれど。
彼は本当に単純にサマーのことが好きだったと思うし、私もサマーの気持ちがわかると言いながらも、
あんな風に真っ直ぐに想われたいなあとも思いました。
けれどやはり恋愛とは、人を愛し愛されるということは、単に楽しい時間を過ごすことや、
同じものを好きだったり笑っていたりするだけではないと思うし。
サマーはあえて先を考えないようにしていたけれど、
実はトムだって今があまりに楽しくて、これから2人はどうなっていくのか、
本当のところは考えてはいなかったんだと思います。
もう永遠に、この楽しい時間が続くのだと思っていたんじゃないのでしょうか。
・・・とまあ、あれこれ思いを巡らせてしまいましたが、
本当にいろんなことを思ってしまい、誰かに語らずにはいられないし、
逆に胸の一番奥深いところに隠しておきたくもなる物語でした。
美しくて痛い、誰もが知っているのに誰も答えを持っていない、
恋愛って本当に難しくてやっかいなものだとしみじみ感じてしまいました。
時系列をバラバラにした構成は本当に素晴らしく、
この演出こそがこの作品を複雑で重みのあるものにしていると思いました。
まさにトムのアタマの中を描いていると言えるバラバラさ加減。
こうしてランダムに描くことで彼がサマーとの関係を反芻する様を表している。
それはまるで人が何かを思い出す時の様子そのもので、そうやって思い出していくたびに、
甘い想いをもう一度感じたり、急に怒りがよみがえり溢れてきたりもして、
そうしてトムはサマーがどんな人だったのか、2人の500日間はどんな時間だったのかを知るのです。
(Day 290)
ああそれにしても、結果的に2人の恋愛に対する考え方は最後に逆転してしまうわけで、
いくらサマーの気持ちがわかると言っても、やはりトムはかわいそう、という結論になるかも知れません。
(あくまでトム目線で見たサマーですから、これをサマー目線で作り直したらまるで違う話になりそうですが。)
でもサマーに出会った経験は確実にトムを成長させ、本来の夢であった建築家への道に進ませることにもなった。
つらい恋の経験は誰でもすべきであり、決してしてソンなことなどない、ということだと思います。
サマーはズーイー・デシャネル以外考えられない、まさに彼女のために作られたかのような役。
彼女のちょっと世の中を斜めに見ているような表情が、サマーという人物を限りなく魅力的にしていました。
そしてジョセフ・ゴードン=レヴィットの素晴らしさと言ったら!
どちらかというと暗かったりアブナかったりする役が多く、素顔もかなり個性的な彼が、
どうしたらこんなにも"男の子"を演じられるのかというぐらい愛らしい。
仕草や表情のすべてが、ああ本当にサマーのことが好きで好きでしょうがないんだろうなという、
とにかく無敵で完璧な説得力でした。
サマーの最後の決定的な一言を聞いた時のあの表情・・・忘れられない!
2人をとりまく友人や同僚たちもみんな良かった。
それとクロエ・モレッツ演じるトムの妹レイチェルとトムのやりとりがまたとてもイイ!
音楽のことにもぜひ触れるべきなんですが、私はほとんど詳しくないので、
その辺は詳しい方にお任せして。私がザ・スミスについて何か言い出せば、
いよいよ話が長くなる上に感情的なことになってしまうので自粛!
とりあえずサントラ盤は必聴!早々に買って持っていたんですが、
観るまで聴かないでガマンしていたので、今は解禁してヘビーローテーション中。
映画のように、あのシーンこのシーンとランダムに思い出しています。
ああ本当に言い足りないことでいっぱい!上映館は少ないですが、ぜひ多くの人に観て欲しいです。
これを観て、うちのめされたり自分はここまでじゃないと安心してみたり、
そして運命と偶然の違いについて思いを巡らせ、
これからの恋愛や過去にした後悔に役立てて欲しいです。
次の幸せな出会いのために。あるいは今の幸せを大切にするために。
(500) Days of Summer(2009 アメリカ)
監督 マーク・ウェブ
出演 ジョセフ・ゴードン=レヴィット ズーイー・デシャネル ジェフリー・エアンド クロエ・モレッツ
マシュー・グレイ・ガブラー クラーク・グレッグ レイチェル・ボストン ミンカ・ケリー
カールじいさんの空飛ぶ家 [映画感想−か]
今後、この作品を何度観ることがあるかわからないけれど、
そのたびに冒頭の「カールとエリーの物語」には必ず胸を締め付けられ、
涙を流さずにはいられないと思います。
ものすごく乱暴な言い方をすると、短編としてここで終わってくれてもいいと思ったくらい。
カール・フレドリクセン(エドワード・アズナー)は少々頑固な老人。
亡き妻エリーとの思い出にあふれた一軒家で一人暮らしていましたが、
家の周囲は開発のため取り壊され今やカールの家が一軒だけ取り残されてしまっていました。
それでも頑なに立ち退きに応じないカール。
そんな中、ボーイスカウトの少年ラッセル(ジョーダン・ナガイ)がカールを訪ねてきますが、
カールは適当なことを言って少年を追い返してしまいます。
そしてある日、カールはトラブルを起こしてしまい、施設に入らなければならなくなってしまいます。
愛する家での最後の夜、カールはエリーの遺した冒険ブックを眺めているうちに、ある決意をします。
頑固じいさん
事前に予備知識を入れないで観るタチなので、
カールが家に風船を付けて飛び立ってからどうなるのかは一切知りませんでした。
ラッセルがなぜかついてきてしまうのはわかっていましたが、
なんとなく、2人でその家であちこち旅をして・・・という、
『80日間世界一周』みたいな展開をぼんやりと予想していたので、
(ラッセルがアジア系なのもそういうことなのかな、とか)
後半の大活劇ぶりはまったく予想外でした。
目的地であるパラダイスの滝に意外とあっさり到着(実際にはその目前、ですが)しますが、
そこでの大活劇は結構ハラハラドキドキさせるもので、
謎の怪鳥、言葉をしゃべる(ようにされた)犬たち、
そして伝説の人物、チャールズ・F・マンツとの出会いなど、
なかなかに盛りだくさんで見せ場もいっぱい。
でも、この辺は冒頭のリアルなドラマに比べるとちょっとお子さま向けな、
普通の冒険活劇というのかアクション映画になってしまった感じ。
別にそれで悪いことなんて全然ないのですが、ピクサー初の人間が主人公ということで、
もう少しリアルな話なんだと勝手に思いこんでいたので、
このファンタジー展開はかなり予想を裏切られた感じでした。
なんでそんなところに!?
そもそも、大量の風船で家が空を飛ぶという時点でファンタジーなわけだし、
それを考えたら何が出てきたっておかしくはないのですが、
前半とのギャップというか、結構いきなりで無理矢理な感じを受けてしまったのです。
犬が"しゃべる"ということにはちゃんとした設定がなされていてなるほどなと思ったのですが、
それでも犬が料理したり飛行機を操縦したりというのはあまりにファンタジー設定過ぎるし、
それなら普通のアニメのようにしゃべる犬でいいのでは?と思ってしまったり。
そんな細かいことはどうでもいいのかも知れないし、
実際、言うほど気になって観ていたわけでもないのですが、
いったいマンツは何歳なんだとか、どうやって生きていたのか、なんてことも考え出すと、
これはもしかしてカールの夢オチなんじゃないかと思いながら観ていました。
あるいは、カールは実はとっくに死んでしまっていたのでは・・・とか。
だって、杖をついて歩いていたようなおじいさんだったのに、あの元気っぷりは異常でしょう!
そんなこんな、いろいろ気になる点は多々ありましたが、
まあそこは深く気にせず楽しめばいいのかな、とは思いました。
何より、改めて言うまでもないですが美しい映像!
今回、自分にとって初めてのデジタル3D体験だったのですが、
本当に素晴らしく、まさに見とれるほどの美しい映像でした。
3Dと言ってもやたらと何かが飛び出してきたりといったことはなく、
おそらく意図してそういう3D3Dした映像にしていないんだと思うのですが、
それでも、空に浮かぶ風船のリアルさ、光の差し方やきらめき方とか、
家や崖の上から見下ろす景色の奥行き感などがものすごくリアルに感じられました。
何度か登場する宙づりシーンは、高所が苦手な人にはちょっと耐えられないぐらいだったのでは。
それと、字幕が浮いて出ているのも不思議な感じで、
観るまでは3D字幕なんて読みづらいんじゃないかと思ってましたが、
かえってクリアで読みやすかったぐらいです。
ただ3Dメガネ自体は大きくて、途中何度もずり落ちて来てしまい、
しょっちゅう持ち上げなくてはならないのがちょっと大変でしたが。
テニスボール大好き!
少年ラッセルがなぜアジア系なのかは特に語られることもなく謎なんですが、
声優を務めたジョーダン・ナガイ君はその名前でわかるとおり日本人とのハーフだそうで、
彼を最初に決めたのでアジア系の造形にしたのか、
まずアジア系という設定があってジョーダン君をキャスティングしたのか。
日本人としてはどうも気になるところです。
敵役となるチャールズ・F・マンツの声は名優クリストファー・プラマー!
言われて納得、なんとなく顔、似てる気がする!
敵役、と書いてしまいましたが、彼を悪者にしてしまうのはちょっと可哀相な気もしました。
大活劇にするために敵役は必要だったのかも知れないし、
いわゆるマッドサイエンティティストにすることでわかりやすい図式になったのかも知れませんが、
でもあの彼の最後は・・・納得できない上にちょっと怖さも感じました。
たくさんいた犬だって相当・・・なんて考えるとかなり後味悪いというか、
そういうところはなんだか残酷で、お子さまにもどうなんだろう?と思ったり。
もうちょっと全体的にすっきりする理屈というか、
強引でも無理矢理でもファンタジーでもいいから、スキッとさせて欲しかった気がします。
キレイな映像、カールとラッセルの愛らしいキャラクター、
そしてエリーとの夫婦愛という、すごく心がほんわかするようパーツを、
無理矢理怪しい雲の中に投げ入れてかき回したようなモヤモヤしたものが残ってしまった。
冒頭シーンが素晴らしすぎるだけに、すごく残念に思いました。
ワガママかしら?
Up(2009 アメリカ)
監督 ピート・ドクター
声の出演 エドワード・アズナー クリストファー・プラマー ジョーダン・ナガイ
ボブ・ピーターソン デルロイ・リンドー ジョン・ラッツェンバーガー
そのたびに冒頭の「カールとエリーの物語」には必ず胸を締め付けられ、
涙を流さずにはいられないと思います。
ものすごく乱暴な言い方をすると、短編としてここで終わってくれてもいいと思ったくらい。
カール・フレドリクセン(エドワード・アズナー)は少々頑固な老人。
亡き妻エリーとの思い出にあふれた一軒家で一人暮らしていましたが、
家の周囲は開発のため取り壊され今やカールの家が一軒だけ取り残されてしまっていました。
それでも頑なに立ち退きに応じないカール。
そんな中、ボーイスカウトの少年ラッセル(ジョーダン・ナガイ)がカールを訪ねてきますが、
カールは適当なことを言って少年を追い返してしまいます。
そしてある日、カールはトラブルを起こしてしまい、施設に入らなければならなくなってしまいます。
愛する家での最後の夜、カールはエリーの遺した冒険ブックを眺めているうちに、ある決意をします。
頑固じいさん
事前に予備知識を入れないで観るタチなので、
カールが家に風船を付けて飛び立ってからどうなるのかは一切知りませんでした。
ラッセルがなぜかついてきてしまうのはわかっていましたが、
なんとなく、2人でその家であちこち旅をして・・・という、
『80日間世界一周』みたいな展開をぼんやりと予想していたので、
(ラッセルがアジア系なのもそういうことなのかな、とか)
後半の大活劇ぶりはまったく予想外でした。
目的地であるパラダイスの滝に意外とあっさり到着(実際にはその目前、ですが)しますが、
そこでの大活劇は結構ハラハラドキドキさせるもので、
謎の怪鳥、言葉をしゃべる(ようにされた)犬たち、
そして伝説の人物、チャールズ・F・マンツとの出会いなど、
なかなかに盛りだくさんで見せ場もいっぱい。
でも、この辺は冒頭のリアルなドラマに比べるとちょっとお子さま向けな、
普通の冒険活劇というのかアクション映画になってしまった感じ。
別にそれで悪いことなんて全然ないのですが、ピクサー初の人間が主人公ということで、
もう少しリアルな話なんだと勝手に思いこんでいたので、
このファンタジー展開はかなり予想を裏切られた感じでした。
なんでそんなところに!?
そもそも、大量の風船で家が空を飛ぶという時点でファンタジーなわけだし、
それを考えたら何が出てきたっておかしくはないのですが、
前半とのギャップというか、結構いきなりで無理矢理な感じを受けてしまったのです。
犬が"しゃべる"ということにはちゃんとした設定がなされていてなるほどなと思ったのですが、
それでも犬が料理したり飛行機を操縦したりというのはあまりにファンタジー設定過ぎるし、
それなら普通のアニメのようにしゃべる犬でいいのでは?と思ってしまったり。
そんな細かいことはどうでもいいのかも知れないし、
実際、言うほど気になって観ていたわけでもないのですが、
いったいマンツは何歳なんだとか、どうやって生きていたのか、なんてことも考え出すと、
これはもしかしてカールの夢オチなんじゃないかと思いながら観ていました。
あるいは、カールは実はとっくに死んでしまっていたのでは・・・とか。
だって、杖をついて歩いていたようなおじいさんだったのに、あの元気っぷりは異常でしょう!
そんなこんな、いろいろ気になる点は多々ありましたが、
まあそこは深く気にせず楽しめばいいのかな、とは思いました。
何より、改めて言うまでもないですが美しい映像!
今回、自分にとって初めてのデジタル3D体験だったのですが、
本当に素晴らしく、まさに見とれるほどの美しい映像でした。
3Dと言ってもやたらと何かが飛び出してきたりといったことはなく、
おそらく意図してそういう3D3Dした映像にしていないんだと思うのですが、
それでも、空に浮かぶ風船のリアルさ、光の差し方やきらめき方とか、
家や崖の上から見下ろす景色の奥行き感などがものすごくリアルに感じられました。
何度か登場する宙づりシーンは、高所が苦手な人にはちょっと耐えられないぐらいだったのでは。
それと、字幕が浮いて出ているのも不思議な感じで、
観るまでは3D字幕なんて読みづらいんじゃないかと思ってましたが、
かえってクリアで読みやすかったぐらいです。
ただ3Dメガネ自体は大きくて、途中何度もずり落ちて来てしまい、
しょっちゅう持ち上げなくてはならないのがちょっと大変でしたが。
テニスボール大好き!
少年ラッセルがなぜアジア系なのかは特に語られることもなく謎なんですが、
声優を務めたジョーダン・ナガイ君はその名前でわかるとおり日本人とのハーフだそうで、
彼を最初に決めたのでアジア系の造形にしたのか、
まずアジア系という設定があってジョーダン君をキャスティングしたのか。
日本人としてはどうも気になるところです。
敵役となるチャールズ・F・マンツの声は名優クリストファー・プラマー!
言われて納得、なんとなく顔、似てる気がする!
敵役、と書いてしまいましたが、彼を悪者にしてしまうのはちょっと可哀相な気もしました。
大活劇にするために敵役は必要だったのかも知れないし、
いわゆるマッドサイエンティティストにすることでわかりやすい図式になったのかも知れませんが、
でもあの彼の最後は・・・納得できない上にちょっと怖さも感じました。
たくさんいた犬だって相当・・・なんて考えるとかなり後味悪いというか、
そういうところはなんだか残酷で、お子さまにもどうなんだろう?と思ったり。
もうちょっと全体的にすっきりする理屈というか、
強引でも無理矢理でもファンタジーでもいいから、スキッとさせて欲しかった気がします。
キレイな映像、カールとラッセルの愛らしいキャラクター、
そしてエリーとの夫婦愛という、すごく心がほんわかするようパーツを、
無理矢理怪しい雲の中に投げ入れてかき回したようなモヤモヤしたものが残ってしまった。
冒頭シーンが素晴らしすぎるだけに、すごく残念に思いました。
ワガママかしら?
Up(2009 アメリカ)
監督 ピート・ドクター
声の出演 エドワード・アズナー クリストファー・プラマー ジョーダン・ナガイ
ボブ・ピーターソン デルロイ・リンドー ジョン・ラッツェンバーガー
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