ラブリーボーン [映画感想−ら]
予告編を観て「これは!」と待ちこがれていた作品でしたが、うーん、微妙。
予告を観た時は、事件に巻き込まれて死んでしまった少女が、
天国から悲しみに暮れる家族を見守り、犯人捜しに一役買うみたいな、
まるっきり『ゴースト』っぽい話を想像し、
そこにプラス『乙女の祈り』的なものを期待してしまっていたのですが、
まあそれも大筋で間違ってはいないのですが・・・。
もちろん、思っていたのと違うからダメ!なんてバカなことを言うつもりはありませんが、
なんとも言えない微妙さを感じてしまいました。
1973年12月、ペンシルベニア州郊外の街で、
14歳のスージー(シアーシャ・ローナン)は学校帰りに、
近所に住むハーヴィ(スタンリー・トゥッチ)という男に殺されてしまいます。
自分の死を受け入れられないスージーは、天国へ行くことも出来ず、
ただ家族の様子を見つめ続けるだけでした。
事件は未解決のまま時は過ぎていき、父親(マーク・ウォールバーグ)は一人犯人捜しを続け、
その様子に耐えられない母親(レイチェル・ワイズ)は家を出てしまいます。
スージー・サーモン、14歳
原作は読んでないのでよくわかりませんが、私の感じた微妙さの原因の一つは、
映画化にあたって物語の取捨する部分を間違っちゃったというのか、
どこを切ってどこを映像化したかったかで悩んでしまって、
何を描こうとしたのかわからなくなったような印象を受けてしまったからだと思います。
殺されてしまったスージーの無念さと共に描かれる幻想的な映像、
遺された家族の葛藤、犯人の心の闇、そして犯人捜し。
これらファンタジー、人間ドラマ、サスペンスという大きく分けて3つの要素が、
どうもまとまりなく描かれてしまっていると思いました。
それぞれはそれなりによく出来ているのに、さっぱり噛み合わないでしまっている。
実はストーリー自体はすごく短くて、全体を膨らますために、
幻想的な映像を延々と見せてるのかな、と観ている時に思ったのですが、
それぐらい死後の世界のパートが結構長いし、でもそこにあまり必要性は感じられない。
こういうファンタジー部分をメインに描きたかったというのならそれでも良かったと思うし、
ドラマにするならもうちょっと遺された家族の描写を丁寧にやって欲しかった。
そして謎解きに重点を置くならもっと徹底的にやって欲しかった。
スージーの妹リンジー(ローズ・マクアイヴァー)の、
犯人宅突入シーンの緊張感はものすごく見応えがあって、
逆にそこだけ突出していて別の映画になっているよう。
妹や父親が真犯人に気付く理由もほとんど描かれていないに等しいし、
そこを端折るぐらいなら・・・というバランスの悪さをすごく感じました。
娘はどこに
それでも、私は冒頭から何度も何度も泣かされっぱなしでした。
最初に出てくるスージーの弟の事故のエピソードから泣いてしまったし、
スージーが犯人に襲われているまさにその時、何も知らない家族の、
いつもと何ら変わらないであろう食卓の様子の平和さにも涙が出てしまいました。
遺された家族は絶望の中でバラバラになっていくという、その後も続く不幸には本当に胸が痛みます。
父親は自力で犯人捜しを始め、母親は悲しみに暮れ、そんな夫の様子に耐えられない。
この描写、何か前にもあったなあと考えたら・・・そう、
『帰らない日々』という作品が同じような感じでした。
これも、ひき逃げで息子を亡くした父親は犯人捜しに没頭し、母親は自責の念に駆られ続ける。
死んでしまった人はもうどうしたって戻らないのに、何かせずにはいられない人と、ただ後悔する人。
この違いはどこから来るのかわかりませんが、いずれも不幸以外の何ものでもありません。
そんな家族の葛藤も虚しく、事件は最後まで未解決のままで、
家族もこれからどうなっていくのかわからないまま終わってしまいます。
しかしあの世とこの世の間にいたスージーは、この世に思い残したあることを実らせ、
ようやく天国へ向かうことが出来るようになる。
14歳という年齢を考えると、この思いはわからなくもないし、
素直に「良かったね」と言いたくなるようなラストではあります。
でもこれでいいのかな、というよりこの作品で本当に描きたかったことは何なのか、
いよいよわからなくなってしまいました。
でも、こんな風にして死んでいく人はこの世の未練を断ち切るのかも知れないし、
遺された人も、少しずつ死者への思いから離れていくのかも知れない、そんなことも感じました。
とはいえ、単純に純粋に、犯人にはもっとひどい鉄槌を下して欲しかった。
でも、こういう理不尽さは世の中にはたくさんあって、
映画だからと都合良くドラマチックに結論を出しても、それも嘘くさくなるのかも知れません。
犯人の心の闇は見えない
『つぐない』の頃よりだいぶ大人びたシアーシャ・ローナンは、
本当に愛らしい14歳の少女を演じていました。
今時のアメリカの14歳にくらべたらずいぶん幼いですが、そこが70年代らしい。
スーザン・サランドン演じるかなり型破りなおばあちゃんは、
ものすごくもったいないことに、存在意義が非常に希薄でした。
スージーがおばあちゃんのことをどんなに好きだったのか、
逆に娘である母親はなぜこのおばあちゃんとうまくいかないのかもわかりづらかった。
せっかくスーザン・サランドンなんて名優を持ってきてこれでは。
でもこんなにカッコイイおばあちゃん、彼女ならではですけどね。
犯人ハーヴィの描写もいまひとつ物足りなくて、
なぜこんな事件を起こすようになったのかがもう少し見えても良かった気がします。
あるいは本当に謎の殺人鬼として顔も見えないぐらいが良かったんじゃないかな。
とは言ってもスタンリー・トゥッチはなかなかアヤシイ熱演でしたが。
スージーの死後の世界の映像は、父親がボトルシップを壊すシーンなど、
現実とリンクするあたりに悪夢の美しさと恐ろしさのようなものを感じました。
でも、スージーがティーン雑誌の表紙になるみたいなのは下世話過ぎ。
14歳の女の子の夢だとは思いますが、ここは蝶だ花だぐらいで留めていて欲しかったです。
スージーのファッションからマーク・ウォールバーグのヘアスタイルまで、
全体的に70年代の雰囲気がものすごく良く出ていたのが単純に好みでした。
そうだ、ネガフィルムを写真屋に出して焼き上がってくる時のどきどきわくわくする感じを、
久しぶりに思いがけず思い出させてもらいました。
でもこんな風に1本ずつ焼くというのは切なすぎる。
いつか来る最後の1本に私なら耐えられそうにないです。
The Lovely Bones(2009 アメリカ/イギリス/ニュージーランド)
監督 ピーター・ジャクソン
出演 シアーシャ・ローナン マーク・ウォールバーグ レイチェル・ワイズ スタンリー・トゥッチ
スーザン・サランドン マイケル・インペリオリ リース・リッチー ローズ・マクアイヴァー
キャロリン・ダンド クリスチャン・トーマス・アシュデイル ニッキー・スーフー
予告を観た時は、事件に巻き込まれて死んでしまった少女が、
天国から悲しみに暮れる家族を見守り、犯人捜しに一役買うみたいな、
まるっきり『ゴースト』っぽい話を想像し、
そこにプラス『乙女の祈り』的なものを期待してしまっていたのですが、
まあそれも大筋で間違ってはいないのですが・・・。
もちろん、思っていたのと違うからダメ!なんてバカなことを言うつもりはありませんが、
なんとも言えない微妙さを感じてしまいました。
1973年12月、ペンシルベニア州郊外の街で、
14歳のスージー(シアーシャ・ローナン)は学校帰りに、
近所に住むハーヴィ(スタンリー・トゥッチ)という男に殺されてしまいます。
自分の死を受け入れられないスージーは、天国へ行くことも出来ず、
ただ家族の様子を見つめ続けるだけでした。
事件は未解決のまま時は過ぎていき、父親(マーク・ウォールバーグ)は一人犯人捜しを続け、
その様子に耐えられない母親(レイチェル・ワイズ)は家を出てしまいます。
スージー・サーモン、14歳
原作は読んでないのでよくわかりませんが、私の感じた微妙さの原因の一つは、
映画化にあたって物語の取捨する部分を間違っちゃったというのか、
どこを切ってどこを映像化したかったかで悩んでしまって、
何を描こうとしたのかわからなくなったような印象を受けてしまったからだと思います。
殺されてしまったスージーの無念さと共に描かれる幻想的な映像、
遺された家族の葛藤、犯人の心の闇、そして犯人捜し。
これらファンタジー、人間ドラマ、サスペンスという大きく分けて3つの要素が、
どうもまとまりなく描かれてしまっていると思いました。
それぞれはそれなりによく出来ているのに、さっぱり噛み合わないでしまっている。
実はストーリー自体はすごく短くて、全体を膨らますために、
幻想的な映像を延々と見せてるのかな、と観ている時に思ったのですが、
それぐらい死後の世界のパートが結構長いし、でもそこにあまり必要性は感じられない。
こういうファンタジー部分をメインに描きたかったというのならそれでも良かったと思うし、
ドラマにするならもうちょっと遺された家族の描写を丁寧にやって欲しかった。
そして謎解きに重点を置くならもっと徹底的にやって欲しかった。
スージーの妹リンジー(ローズ・マクアイヴァー)の、
犯人宅突入シーンの緊張感はものすごく見応えがあって、
逆にそこだけ突出していて別の映画になっているよう。
妹や父親が真犯人に気付く理由もほとんど描かれていないに等しいし、
そこを端折るぐらいなら・・・というバランスの悪さをすごく感じました。
娘はどこに
それでも、私は冒頭から何度も何度も泣かされっぱなしでした。
最初に出てくるスージーの弟の事故のエピソードから泣いてしまったし、
スージーが犯人に襲われているまさにその時、何も知らない家族の、
いつもと何ら変わらないであろう食卓の様子の平和さにも涙が出てしまいました。
遺された家族は絶望の中でバラバラになっていくという、その後も続く不幸には本当に胸が痛みます。
父親は自力で犯人捜しを始め、母親は悲しみに暮れ、そんな夫の様子に耐えられない。
この描写、何か前にもあったなあと考えたら・・・そう、
『帰らない日々』という作品が同じような感じでした。
これも、ひき逃げで息子を亡くした父親は犯人捜しに没頭し、母親は自責の念に駆られ続ける。
死んでしまった人はもうどうしたって戻らないのに、何かせずにはいられない人と、ただ後悔する人。
この違いはどこから来るのかわかりませんが、いずれも不幸以外の何ものでもありません。
そんな家族の葛藤も虚しく、事件は最後まで未解決のままで、
家族もこれからどうなっていくのかわからないまま終わってしまいます。
しかしあの世とこの世の間にいたスージーは、この世に思い残したあることを実らせ、
ようやく天国へ向かうことが出来るようになる。
14歳という年齢を考えると、この思いはわからなくもないし、
素直に「良かったね」と言いたくなるようなラストではあります。
でもこれでいいのかな、というよりこの作品で本当に描きたかったことは何なのか、
いよいよわからなくなってしまいました。
でも、こんな風にして死んでいく人はこの世の未練を断ち切るのかも知れないし、
遺された人も、少しずつ死者への思いから離れていくのかも知れない、そんなことも感じました。
とはいえ、単純に純粋に、犯人にはもっとひどい鉄槌を下して欲しかった。
でも、こういう理不尽さは世の中にはたくさんあって、
映画だからと都合良くドラマチックに結論を出しても、それも嘘くさくなるのかも知れません。
犯人の心の闇は見えない
『つぐない』の頃よりだいぶ大人びたシアーシャ・ローナンは、
本当に愛らしい14歳の少女を演じていました。
今時のアメリカの14歳にくらべたらずいぶん幼いですが、そこが70年代らしい。
スーザン・サランドン演じるかなり型破りなおばあちゃんは、
ものすごくもったいないことに、存在意義が非常に希薄でした。
スージーがおばあちゃんのことをどんなに好きだったのか、
逆に娘である母親はなぜこのおばあちゃんとうまくいかないのかもわかりづらかった。
せっかくスーザン・サランドンなんて名優を持ってきてこれでは。
でもこんなにカッコイイおばあちゃん、彼女ならではですけどね。
犯人ハーヴィの描写もいまひとつ物足りなくて、
なぜこんな事件を起こすようになったのかがもう少し見えても良かった気がします。
あるいは本当に謎の殺人鬼として顔も見えないぐらいが良かったんじゃないかな。
とは言ってもスタンリー・トゥッチはなかなかアヤシイ熱演でしたが。
スージーの死後の世界の映像は、父親がボトルシップを壊すシーンなど、
現実とリンクするあたりに悪夢の美しさと恐ろしさのようなものを感じました。
でも、スージーがティーン雑誌の表紙になるみたいなのは下世話過ぎ。
14歳の女の子の夢だとは思いますが、ここは蝶だ花だぐらいで留めていて欲しかったです。
スージーのファッションからマーク・ウォールバーグのヘアスタイルまで、
全体的に70年代の雰囲気がものすごく良く出ていたのが単純に好みでした。
そうだ、ネガフィルムを写真屋に出して焼き上がってくる時のどきどきわくわくする感じを、
久しぶりに思いがけず思い出させてもらいました。
でもこんな風に1本ずつ焼くというのは切なすぎる。
いつか来る最後の1本に私なら耐えられそうにないです。
The Lovely Bones(2009 アメリカ/イギリス/ニュージーランド)
監督 ピーター・ジャクソン
出演 シアーシャ・ローナン マーク・ウォールバーグ レイチェル・ワイズ スタンリー・トゥッチ
スーザン・サランドン マイケル・インペリオリ リース・リッチー ローズ・マクアイヴァー
キャロリン・ダンド クリスチャン・トーマス・アシュデイル ニッキー・スーフー
あまりにも自分が思ったことがきれいにまとめられて書かれていたので、勝手にブログにリンク貼りました。すみません。
確かにスーザン・サランドンはもっと活躍してもらいたかったですね。もったいない。
by kysmyg (2010-03-06 21:30)
kysmygさん、こんにちは!
違う場所でお会いするのってフシギですねー。
あんなしっちゃかめっちゃかにしちゃうおばあちゃん、ちょっと困っちゃいますが、
一緒にお買い物行ったりしたいなーって思いました。
by dorothy (2010-03-07 00:14)