主人公は僕だった [映画感想−さ]
ウィル・フェレル主演なので、軽いタッチのコメディかと思いましたが、
そんなことはなく、全編で静かに、人生や死について考えるドラマという雰囲気・・・かな。
国税庁の会計検査官ハロルド・クリック(ウィル・フェレル)は、
毎朝同じ時間に目覚め、同じ回数歯を磨き、同じバスに乗り・・・と、
生活のすべてを規則正しく過ごしていました。
ところがある朝、彼の頭にナレーションのような女性の声が聞こえ始めます。
彼の考えや行動をそのまま文学的表現で語る謎の声。
そしてその声は「彼が死に直面している」と語りだし・・・。
数字に囲まれたハロルドの生活
「それほど文学的な語り口ならその方面の専門家の意見を聞いたら?」という医者の忠告で、
ハロルドは文学教授のヒルバート(ダスティン・ホフマン)を訪ねます。
ヒルバートは彼にテストと称しいろんな質問をするのですが・・・これがオカシイ。
「最近何か贈り物が届いたか?」とか「殺人事件を解決したいか?」「君は何かの王様か?」などなど。
要するにハロルドは何の物語に入り込んだのかを探るテストだと言うのです。
”文学理論"ってこんな研究をする人なのでしょうか?
ダスティン・ホフマンの少しとぼけて浮世離れした教授ぶりはすごく合っています。
やがて声の主は作家のカレン・アイフル(エマ・トンプソン)だということがわかります。
彼女の作品は最後に必ず主人公が死ぬことになっているのですが、
現在執筆中の作品では、死ぬ方法が見つけられずスランプに陥っている。
そのために事故が起こりそうな場所や人が死にそうな病院を訪ねたりするという、
彼女も相当重症な雰囲気。
常にいらつき、落ち込み、奇行ばかりの作家の雰囲気をエマ・トンプソンがすごくよく出しています。
作家はスランプに陥っていた
一方、税務調査が縁でハロルドはベーカリーを営むアナ・パスカル(マギー・ジレンホール)と出会います。
初めから彼女に惹かれるものを感じながら、性格的に気持ちを上手く表すことができません。
彼女も税務署員のハロルドを完全に敵視していますが、だんだんと彼のまっすぐな性格に惹かれ始めます。
教授に「やりたいことをやれ」と言われ、ハロルドはずっとやりたかったギターを始め、
仕事を休み、友だちを作り、そしてアナに想いを告げます。
なぜハロルドの頭に作家の声が聞こえ始めるのか・・・結局最後までその理由の説明はありません。
この不条理な感じは『マルコヴィッチの穴』などのチャーリー・カウフマン的。
登場人物たちはそのことを不思議に思いながらも、その事実を受け入れてしまうのですが、
私にはいまいちすんなり受け入れがたくて、そこはこじつけでもいいから何か理由が欲しかった。
ただ、この作品のテーマはそんなところになくて、作家という職業が、
人の生き死にをどうこうするという"神の視点"をどう考えるかということや、
また、単調な暮らしの中に楽しみや生きがいを見出すことの難しさ、重要さを語っているのかなとも思いました。
ハロルドとアナの出会いは
ただやはり、どこかスッキリしないものが残っているのは事実。
ハロルドが少しずつ生き方を変えていくことも彼の意志ではなく、作家のカレンが作っているわけですよね。
どうせ死ぬのなら、死ぬ前に楽しい人生を・・・ということだとはわかるのですが、
結局ハロルドは何一つ自分で決められず振りまわされるだけなわけで、
彼が自分の意志だけで行動したことと言えばカレンに会いに行ったことぐらい。
結果的にこれがカレンの小説にも影響を及ぼすわけ・・・ですが、
どうもいまいち納得がいかないのは私のアタマが悪いor固いせい?
このよくわからない設定はとりあえず横に置いて、
自分が死ぬとわかり、その事実を受け入れる・・・ということだけを取り上げれば、
例えばガン宣告を受け人生を考える、なんてことと同じなのかも知れないのですが。
でもそこで、なんとか主人公が死を回避するために奔走するとか、
自力で運命を変えていく、というほうがまだ納得がいった気がします。
全体にどことも知れない雰囲気の街や建物の作り方、
どこか空々しい感じの街の人たちなどが「何かあるかも?」と思わせて、
結局特に何もない(!)感じは、マーク・フォースター監督の前作『ステイ』と似ています。
この監督はこういう凝った、意図的な映像作りが好きなのでしょうね。
このあたりのちょっとオシャレにも見える映像作りは好き嫌いが分かれるかも知れません。
反対にアナのベーカリーと彼女の部屋は、これまた別の意味で凝っていて、
小物ひとつひとつがものすごく自分の好みで気に入りました。
こんなパン屋さんなら絶対通いたい!彼女の部屋のランプや敷物が全部欲しい!
チャーリー・カウフマン的世界を狙ったけど、そう簡単にはいかなかった感じでしょうか。
キャスティングもウィル・フェレル=ジム・キャリー、エマ・トンプソン=メリル・ストリープ・・・とか、
過去のカウフマン作品に通じるものを感じてしまったし。
映像の美しさと出演者の良い意味で力の抜けた演技はとても良いので、もう一工夫が欲しかった。
いろんな意味で今一歩の物足りなさでした。
ところでこの邦題・・・『もしも昨日が選べたら』に並ぶ、困ったタイトルですね。
どちらもソニーピクチャーズというところが・・・うーむ、これなら無理して邦題付けなくても良いのでは?
Stranger Than Fiction(2006 アメリカ)
監督 マーク・フォースター
出演 ウィル・フェレル マギー・ジレンホール ダスティン・ホフマン エマ・トンプソン
クイーン・ラティファ トニー・ヘイル トム・ハルス
そんなことはなく、全編で静かに、人生や死について考えるドラマという雰囲気・・・かな。
国税庁の会計検査官ハロルド・クリック(ウィル・フェレル)は、
毎朝同じ時間に目覚め、同じ回数歯を磨き、同じバスに乗り・・・と、
生活のすべてを規則正しく過ごしていました。
ところがある朝、彼の頭にナレーションのような女性の声が聞こえ始めます。
彼の考えや行動をそのまま文学的表現で語る謎の声。
そしてその声は「彼が死に直面している」と語りだし・・・。
数字に囲まれたハロルドの生活
「それほど文学的な語り口ならその方面の専門家の意見を聞いたら?」という医者の忠告で、
ハロルドは文学教授のヒルバート(ダスティン・ホフマン)を訪ねます。
ヒルバートは彼にテストと称しいろんな質問をするのですが・・・これがオカシイ。
「最近何か贈り物が届いたか?」とか「殺人事件を解決したいか?」「君は何かの王様か?」などなど。
要するにハロルドは何の物語に入り込んだのかを探るテストだと言うのです。
”文学理論"ってこんな研究をする人なのでしょうか?
ダスティン・ホフマンの少しとぼけて浮世離れした教授ぶりはすごく合っています。
やがて声の主は作家のカレン・アイフル(エマ・トンプソン)だということがわかります。
彼女の作品は最後に必ず主人公が死ぬことになっているのですが、
現在執筆中の作品では、死ぬ方法が見つけられずスランプに陥っている。
そのために事故が起こりそうな場所や人が死にそうな病院を訪ねたりするという、
彼女も相当重症な雰囲気。
常にいらつき、落ち込み、奇行ばかりの作家の雰囲気をエマ・トンプソンがすごくよく出しています。
作家はスランプに陥っていた
一方、税務調査が縁でハロルドはベーカリーを営むアナ・パスカル(マギー・ジレンホール)と出会います。
初めから彼女に惹かれるものを感じながら、性格的に気持ちを上手く表すことができません。
彼女も税務署員のハロルドを完全に敵視していますが、だんだんと彼のまっすぐな性格に惹かれ始めます。
教授に「やりたいことをやれ」と言われ、ハロルドはずっとやりたかったギターを始め、
仕事を休み、友だちを作り、そしてアナに想いを告げます。
なぜハロルドの頭に作家の声が聞こえ始めるのか・・・結局最後までその理由の説明はありません。
この不条理な感じは『マルコヴィッチの穴』などのチャーリー・カウフマン的。
登場人物たちはそのことを不思議に思いながらも、その事実を受け入れてしまうのですが、
私にはいまいちすんなり受け入れがたくて、そこはこじつけでもいいから何か理由が欲しかった。
ただ、この作品のテーマはそんなところになくて、作家という職業が、
人の生き死にをどうこうするという"神の視点"をどう考えるかということや、
また、単調な暮らしの中に楽しみや生きがいを見出すことの難しさ、重要さを語っているのかなとも思いました。
ハロルドとアナの出会いは
ただやはり、どこかスッキリしないものが残っているのは事実。
ハロルドが少しずつ生き方を変えていくことも彼の意志ではなく、作家のカレンが作っているわけですよね。
どうせ死ぬのなら、死ぬ前に楽しい人生を・・・ということだとはわかるのですが、
結局ハロルドは何一つ自分で決められず振りまわされるだけなわけで、
彼が自分の意志だけで行動したことと言えばカレンに会いに行ったことぐらい。
結果的にこれがカレンの小説にも影響を及ぼすわけ・・・ですが、
どうもいまいち納得がいかないのは私のアタマが悪いor固いせい?
このよくわからない設定はとりあえず横に置いて、
自分が死ぬとわかり、その事実を受け入れる・・・ということだけを取り上げれば、
例えばガン宣告を受け人生を考える、なんてことと同じなのかも知れないのですが。
でもそこで、なんとか主人公が死を回避するために奔走するとか、
自力で運命を変えていく、というほうがまだ納得がいった気がします。
全体にどことも知れない雰囲気の街や建物の作り方、
どこか空々しい感じの街の人たちなどが「何かあるかも?」と思わせて、
結局特に何もない(!)感じは、マーク・フォースター監督の前作『ステイ』と似ています。
この監督はこういう凝った、意図的な映像作りが好きなのでしょうね。
このあたりのちょっとオシャレにも見える映像作りは好き嫌いが分かれるかも知れません。
反対にアナのベーカリーと彼女の部屋は、これまた別の意味で凝っていて、
小物ひとつひとつがものすごく自分の好みで気に入りました。
こんなパン屋さんなら絶対通いたい!彼女の部屋のランプや敷物が全部欲しい!
チャーリー・カウフマン的世界を狙ったけど、そう簡単にはいかなかった感じでしょうか。
キャスティングもウィル・フェレル=ジム・キャリー、エマ・トンプソン=メリル・ストリープ・・・とか、
過去のカウフマン作品に通じるものを感じてしまったし。
映像の美しさと出演者の良い意味で力の抜けた演技はとても良いので、もう一工夫が欲しかった。
いろんな意味で今一歩の物足りなさでした。
ところでこの邦題・・・『もしも昨日が選べたら』に並ぶ、困ったタイトルですね。
どちらもソニーピクチャーズというところが・・・うーむ、これなら無理して邦題付けなくても良いのでは?
Stranger Than Fiction(2006 アメリカ)
監督 マーク・フォースター
出演 ウィル・フェレル マギー・ジレンホール ダスティン・ホフマン エマ・トンプソン
クイーン・ラティファ トニー・ヘイル トム・ハルス
タグ:映画
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