プレイタイム [映画感想−は]
ジャック・タチ作品の中で、どれか1つ好きな作品を挙げることはとても難しいのですが、
一番の"傑作"と言えばこの『プレイタイム』だと断言してもいいでしょう。
その完成度の高さは、やりすぎと言ってもいいぐらいのもの。
よく知られていることですが、公開時の興行成績は散々なもので、
その結果、タチは破産に追い込まれるわけですが、
そうまでして(もちろん、失敗すると思って作ってはいなかったでしょうが)
彼が描きたかったもの、作りたかったもの。
その素晴らしい完成品を堪能できる幸せ!
パリ・オルリー空港。近代的なロビーで働く人、降り立つ人や旅立つ人々。
アメリカから来た団体客たちは、バスに乗り込みパリの街へ。
そこには巨大でハイテクなビルがあり、そこにユロ氏が就職のために現れます。
例によってあらゆる所に迷い込んでしまい、担当者になかなか会えないユロ氏。
いつの間にか向かいのビルの見本市会場に紛れ込む始末。
街中で旧友に出会い、モダンかつ不思議なアパートに招待されたり、
別の友人に誘われ、本日オープンのレストランに迷い込んだり・・・。
幕張メッセや東京フォーラムを思い出します
70mmの画面いっぱいに、計算しつくされた映像が次から次へと映し出されます。
1つとして気を抜いたカットはなく、すべてが完璧に作られています。
あるときは美し過ぎる構図に、思わず見とれてしまいそうになり、
また別のシーンは、あまりにも情報量が多すぎてすべてを見尽くせません。
大画面の中、あらゆるイベントが起こっていて、
ユロ氏が遠くを横切っていたり、ユロ氏にそっくりな格好の人が何人もいたり、
まるで「ウォーリーを探せ」状態です。
あっちでもこっちでも小ネタのギャグが繰り出され、一度では見尽くせません。
たぶん、たくさん見落としているものがあると思います。
モダンが過ぎやしませんか?
前半の巨大ビルでのパート、間に超モダンな友人宅のパートが挟まれますが、
後半のレストランでのパートと、大きく分けて舞台は2つ。
それぞれ内容が充実し過ぎていて、別々の作品にしても良いのではないかと思うほどです。
前半の、巨大ビルでユロ氏が右往左往の図は、ユロ氏お馴染みのパターンと言えますが、
今回はあちこちに偽ユロ氏が現れるのがおかしい。
モダンな設備を面白おかしく見せるのは『ぼくの伯父さん』でもお馴染み。
靴音など極端に強調される音、蛍光灯がうなるような音、その逆に音がしない扉、
勝手に動いたり不思議な動きをする人やモノたち。
何もかもが見ていて飽きません。
後半のレストランパートは、開店から大騒ぎの末に朝を迎えるまで、
まったく途切れることなく時間が進んでいき、
そこに数え切れないほどのギャグが詰め込まれています。
剥がれる床、客の背中に付く椅子の背もたれの跡、放置されっぱなしの魚料理、
ボロボロの格好になっていくギャルソン、ガラスのない扉・・・。
アメリカの団体客たちが、なぜ花のたくさん付いた帽子を被っているのか、
その答え(というかオチ)が見せられるときは、感動すらおぼえます。
すべてに前振りがあり、忘れた頃にきちんと落としてくれる。
どれほど計算され尽くされているのか、まったく、あきれてしまいます。
レストランの夜は更け・・・
ストーリーはあって無いようなものだし、ギャグもベタなものも少なくないし、
真剣に向き合って観ていると、ちょっと疲れてしまうかも知れません。
当時フランスで不評だった理由のひとつに、
ユロ氏があまり前面に出てこないことが挙げられているのですが、
確かに今作では、ユロ氏の存在はあまり重要ではなく、
かといって、そのかわりの主役がいるわけでもありません。
あくまで、ある日のパリの街が主役、しかも私たちがよく観るパリの風景ではなく、
(お馴染みのエッフェル塔や凱旋門は、ビルのガラスに一瞬映り込むだけ!)
1960年代当時の近代的なビルが建ち並び、常にクルマが渋滞している、
そこがパリだと言われなければ、ロンドンでもニューヨークでも当てはまるような、
無国籍化した街そのものが主役と言えます。
タチは近代化するパリに批判的な意味を込めてこの巨大セットを作り、
ビルやクルマや便利な機械に皮肉を込めた眼差しを向けてこの作品を作ったと言われますが、
それでも要所要所で、また終盤にかけてはどこか優しさを感じさせます。
それはエンディングで、永遠に外に流れないのではないかと思われるような、
ロータリーをただグルグルと、しかもノロノロと走るクルマの列に遊園地のような音楽を乗せ、
まるでメリーゴーラウンドのように見せていることも原因かも知れません。
そう、すべては作り物の巨大な遊園地。
観ている私たちも、その輪の中に入り込み、そこにいる人々とともに右往左往させられる。
まさに「プレイタイム=遊びの時間」だったことに気づかされます。
ヴィスコンティの『ベニスに死す』を、十代の頃に観たときはあまりピンと来なかったのが、
それから10年以上経って観たときに、その映像の素晴らしさに圧倒され、
涙が止まらなかったという経験をしました。
映画とは、ストーリーや役者の演技ももちろん大事な要素ですが、
映像が与えるパワーも重要な要素であることを認識させられた瞬間でした。
『プレイタイム』のどこまでも完璧な映像も、ほかにはない圧倒的な映像体験であり、
感動すると同時に、映画というものに対する自分の姿勢を問われるようでもあります。
まあそんなことよりも、こんな奇跡のような作品に出会える幸福。
単純に身を委ね、見え隠れするユロ氏や、画面の端っこでコッソリ仕掛けられたギャグを探しに、
ガラスのない扉を押して入っていきましょう!
Play Time(1967 フランス)
監督 ジャック・タチ
出演 ジャック・タチ バルバラ・デネック アンリ・ピッコリ レオン・ドワイヤン
一番の"傑作"と言えばこの『プレイタイム』だと断言してもいいでしょう。
その完成度の高さは、やりすぎと言ってもいいぐらいのもの。
よく知られていることですが、公開時の興行成績は散々なもので、
その結果、タチは破産に追い込まれるわけですが、
そうまでして(もちろん、失敗すると思って作ってはいなかったでしょうが)
彼が描きたかったもの、作りたかったもの。
その素晴らしい完成品を堪能できる幸せ!
パリ・オルリー空港。近代的なロビーで働く人、降り立つ人や旅立つ人々。
アメリカから来た団体客たちは、バスに乗り込みパリの街へ。
そこには巨大でハイテクなビルがあり、そこにユロ氏が就職のために現れます。
例によってあらゆる所に迷い込んでしまい、担当者になかなか会えないユロ氏。
いつの間にか向かいのビルの見本市会場に紛れ込む始末。
街中で旧友に出会い、モダンかつ不思議なアパートに招待されたり、
別の友人に誘われ、本日オープンのレストランに迷い込んだり・・・。
幕張メッセや東京フォーラムを思い出します
70mmの画面いっぱいに、計算しつくされた映像が次から次へと映し出されます。
1つとして気を抜いたカットはなく、すべてが完璧に作られています。
あるときは美し過ぎる構図に、思わず見とれてしまいそうになり、
また別のシーンは、あまりにも情報量が多すぎてすべてを見尽くせません。
大画面の中、あらゆるイベントが起こっていて、
ユロ氏が遠くを横切っていたり、ユロ氏にそっくりな格好の人が何人もいたり、
まるで「ウォーリーを探せ」状態です。
あっちでもこっちでも小ネタのギャグが繰り出され、一度では見尽くせません。
たぶん、たくさん見落としているものがあると思います。
モダンが過ぎやしませんか?
前半の巨大ビルでのパート、間に超モダンな友人宅のパートが挟まれますが、
後半のレストランでのパートと、大きく分けて舞台は2つ。
それぞれ内容が充実し過ぎていて、別々の作品にしても良いのではないかと思うほどです。
前半の、巨大ビルでユロ氏が右往左往の図は、ユロ氏お馴染みのパターンと言えますが、
今回はあちこちに偽ユロ氏が現れるのがおかしい。
モダンな設備を面白おかしく見せるのは『ぼくの伯父さん』でもお馴染み。
靴音など極端に強調される音、蛍光灯がうなるような音、その逆に音がしない扉、
勝手に動いたり不思議な動きをする人やモノたち。
何もかもが見ていて飽きません。
後半のレストランパートは、開店から大騒ぎの末に朝を迎えるまで、
まったく途切れることなく時間が進んでいき、
そこに数え切れないほどのギャグが詰め込まれています。
剥がれる床、客の背中に付く椅子の背もたれの跡、放置されっぱなしの魚料理、
ボロボロの格好になっていくギャルソン、ガラスのない扉・・・。
アメリカの団体客たちが、なぜ花のたくさん付いた帽子を被っているのか、
その答え(というかオチ)が見せられるときは、感動すらおぼえます。
すべてに前振りがあり、忘れた頃にきちんと落としてくれる。
どれほど計算され尽くされているのか、まったく、あきれてしまいます。
レストランの夜は更け・・・
ストーリーはあって無いようなものだし、ギャグもベタなものも少なくないし、
真剣に向き合って観ていると、ちょっと疲れてしまうかも知れません。
当時フランスで不評だった理由のひとつに、
ユロ氏があまり前面に出てこないことが挙げられているのですが、
確かに今作では、ユロ氏の存在はあまり重要ではなく、
かといって、そのかわりの主役がいるわけでもありません。
あくまで、ある日のパリの街が主役、しかも私たちがよく観るパリの風景ではなく、
(お馴染みのエッフェル塔や凱旋門は、ビルのガラスに一瞬映り込むだけ!)
1960年代当時の近代的なビルが建ち並び、常にクルマが渋滞している、
そこがパリだと言われなければ、ロンドンでもニューヨークでも当てはまるような、
無国籍化した街そのものが主役と言えます。
タチは近代化するパリに批判的な意味を込めてこの巨大セットを作り、
ビルやクルマや便利な機械に皮肉を込めた眼差しを向けてこの作品を作ったと言われますが、
それでも要所要所で、また終盤にかけてはどこか優しさを感じさせます。
それはエンディングで、永遠に外に流れないのではないかと思われるような、
ロータリーをただグルグルと、しかもノロノロと走るクルマの列に遊園地のような音楽を乗せ、
まるでメリーゴーラウンドのように見せていることも原因かも知れません。
そう、すべては作り物の巨大な遊園地。
観ている私たちも、その輪の中に入り込み、そこにいる人々とともに右往左往させられる。
まさに「プレイタイム=遊びの時間」だったことに気づかされます。
ヴィスコンティの『ベニスに死す』を、十代の頃に観たときはあまりピンと来なかったのが、
それから10年以上経って観たときに、その映像の素晴らしさに圧倒され、
涙が止まらなかったという経験をしました。
映画とは、ストーリーや役者の演技ももちろん大事な要素ですが、
映像が与えるパワーも重要な要素であることを認識させられた瞬間でした。
『プレイタイム』のどこまでも完璧な映像も、ほかにはない圧倒的な映像体験であり、
感動すると同時に、映画というものに対する自分の姿勢を問われるようでもあります。
まあそんなことよりも、こんな奇跡のような作品に出会える幸福。
単純に身を委ね、見え隠れするユロ氏や、画面の端っこでコッソリ仕掛けられたギャグを探しに、
ガラスのない扉を押して入っていきましょう!
Play Time(1967 フランス)
監督 ジャック・タチ
出演 ジャック・タチ バルバラ・デネック アンリ・ピッコリ レオン・ドワイヤン
タグ:映画
こんにちは。タチの「プレイタイム」は観ていないのですが、「ベニスに死す」は、よく観ました。マーラーの音楽と溶け合ったすばらしい映像美でした。年齢が異なると、受け取り方が変わってきますね。積み重ねた体験を通して観るからですかね。「プレイタイム」も一度観てみたいです。
by whitered (2008-07-10 09:02)
whiteredさん、こんばんは。nice!ありがとうございます。
ヴィスコンティとタチを同列に並べてはいけないかも知れませんが、
つい書いてしまいました・・・。
大人になってわかることってたくさんありますよね。
映画については特にそう思います。
『プレイタイム』機会があったらぜひご覧になってください。
あ、でも寝不足気味の時はちょっとキツイかも知れませんのでお気を付けください!
by dorothy (2008-07-11 00:24)