おわらない物語 アビバの場合 [映画感想−あ]
トッド・ソロンズの映画について語るのは難しいです。
好きだというのも内容の過激さを思うとちょっとはばかられるし、
本当に好きなのかどうかも、実はよくわからない。
内容が過激と言っても、別に血みどろバイオレンスなんかではなく、
ヘンに尖った演出があるというわけでもありません。
そこに登場するのは普通の人々。
美しくもなく(外見も心も)、取り立てて才能や取り柄もない。
愚か、というのが一番ピッタリ来ると言ってもいいぐらい。
そしてそんな人々の、他人には普通見せないであろう裏側の部分までを見せつけられます。
それはうんざりするほど現実的で、不愉快な気分にさせられることばかりです。
始まりはあるお葬式のビデオ。
それは、不幸な出来事により自殺してしまった少女のお葬式でした。
その少女の名前はドーン。弔辞を述べるのは彼女の兄マーク。
そう、これはトッド・ソロンズのデビュー作『ウェルカム・ドールハウス』の主人公、
ドーンのお葬式なのです。
そして、そのドーンのいとこである幼いアビバが、ベッドの上で泣きながら母に訴えます。
「私もドーンみたいになるの?」
そんなことはないと慰める母にアビバは言います。
「私はたくさん子どもが欲しい。いつも誰かを愛していられるから」
数年後、アビバは妊娠しますが、両親に強引に中絶手術を受けさせられます。
しかし手術は失敗、子どもだけじゃなく子宮まで失ってしまいます。
その事実を知らぬまま、アビバは家を出ます。
たぶん、愛を求めて。
家出するアビバ
旅の途中で、あるクリスチャン一家に出会います。
ママ・サンシャインとボー・サンシャインという夫婦は、
どこかに障害のある子どもたちばかりを育てていて、アビバのことも快く迎え入れます。
神を讃える歌を歌い踊る子どもたち。
キリスト教原理主義者らしい彼らに悪意などまるで存在しません。
しかしその裏で、サンシャイン夫妻は中絶医の暗殺を企んでいます。
狂信的とも言えるこういう原理主義者たちの行動は、ほかでも目にしたことがありますが、
やはり不気味に歪んで見え、気分の良いものではありません。
まさにトッド・ソロンズ的ブラックな表現です。
アビバはそこに何を見、何を感じたのか。
祈るアビバ
この作品での一番の特色は、主人公アビバを8人の違った俳優が演じていること。
しかも、人種・年齢・性別もまったくバラバラの8人です。
見た目が変わることにより、アビバに対する印象も違って見えます。
けれど、8人いずれもアビバ以外の何ものでもない。
ほかの登場人物は自分を変えたいとか生まれ変わりたいと願うのに、
アビバだけは、ただただ自分に素直で、我が道を進んでいます。
けれどそれが正しいとか純粋であるとかいうことでもなく、
むしろ、その行動のもたらす愚かさも充分見えてしまうのです。
終盤近くで、いとこのマークが、
「人は運命で決まっている。自分が変われると思うのは間違いだ。
年をとっても、痩せたり整形したりしても、決して本質は変わらない」
といったことをアビバに話します。
それは実に救いのない言葉ですが、真実であるとも言えます。
アビバは愛する子どもを得たい、その一心で行動していて、
それは誰よりも揺るぎのないことのように見えますが、
けれど、自分を変えたくないとは思っていない。
子どもを持つことで自分も変われるかも、と思っているのかも知れない。
だから、マークの言葉を素直に受け入れることもしません。
またこの言葉は、見た目の異なる俳優がアビバを演じても、
アビバ自身はひとつ、という監督の意図も表現していると思いました。
愛を知る?アビバ
原題は「Palindromes」”palindrome”は"回文"という意味で、
登場人物の名前”Aviva”や"Bob""Otto"などでも表されています。
また、アビバ自身の行動はもちろん、サンシャイン家の善意と悪意、
娘を思い、それに基づいた行動をしたはずなのに裏目に出てしまうアビバの母の、
そんな自分を変えたいと思う気持ちと変えられない現実・・・など、
善と悪、裏と表など、対比するものがいくつも登場しますが、
それらは両極なのではなく、グルグルと回っている、
あるいは必ず元の位置に戻る、という意味なのかなと思いました。
決して気分の良くなる作品ではないけれど、
クセになる、というのとも違う・・・この感覚は、ほかにはない不思議なもの。
やはりこれからもトッド・ソロンズ作品は見続けるのだろうなとしみじみ思いました。
Palindromes(2004 アメリカ)
監督 トッド・ソロンズ
出演 エレン・バーキン スティーヴン・アドリー=ギアギス マシュー・フェイバー デブラ・モンク
ジェニファー・ジェイソン・リー シャイナ・レヴィン シャロン・ウィルキンス ウィル・デントン
好きだというのも内容の過激さを思うとちょっとはばかられるし、
本当に好きなのかどうかも、実はよくわからない。
内容が過激と言っても、別に血みどろバイオレンスなんかではなく、
ヘンに尖った演出があるというわけでもありません。
そこに登場するのは普通の人々。
美しくもなく(外見も心も)、取り立てて才能や取り柄もない。
愚か、というのが一番ピッタリ来ると言ってもいいぐらい。
そしてそんな人々の、他人には普通見せないであろう裏側の部分までを見せつけられます。
それはうんざりするほど現実的で、不愉快な気分にさせられることばかりです。
始まりはあるお葬式のビデオ。
それは、不幸な出来事により自殺してしまった少女のお葬式でした。
その少女の名前はドーン。弔辞を述べるのは彼女の兄マーク。
そう、これはトッド・ソロンズのデビュー作『ウェルカム・ドールハウス』の主人公、
ドーンのお葬式なのです。
そして、そのドーンのいとこである幼いアビバが、ベッドの上で泣きながら母に訴えます。
「私もドーンみたいになるの?」
そんなことはないと慰める母にアビバは言います。
「私はたくさん子どもが欲しい。いつも誰かを愛していられるから」
数年後、アビバは妊娠しますが、両親に強引に中絶手術を受けさせられます。
しかし手術は失敗、子どもだけじゃなく子宮まで失ってしまいます。
その事実を知らぬまま、アビバは家を出ます。
たぶん、愛を求めて。
家出するアビバ
旅の途中で、あるクリスチャン一家に出会います。
ママ・サンシャインとボー・サンシャインという夫婦は、
どこかに障害のある子どもたちばかりを育てていて、アビバのことも快く迎え入れます。
神を讃える歌を歌い踊る子どもたち。
キリスト教原理主義者らしい彼らに悪意などまるで存在しません。
しかしその裏で、サンシャイン夫妻は中絶医の暗殺を企んでいます。
狂信的とも言えるこういう原理主義者たちの行動は、ほかでも目にしたことがありますが、
やはり不気味に歪んで見え、気分の良いものではありません。
まさにトッド・ソロンズ的ブラックな表現です。
アビバはそこに何を見、何を感じたのか。
祈るアビバ
この作品での一番の特色は、主人公アビバを8人の違った俳優が演じていること。
しかも、人種・年齢・性別もまったくバラバラの8人です。
見た目が変わることにより、アビバに対する印象も違って見えます。
けれど、8人いずれもアビバ以外の何ものでもない。
ほかの登場人物は自分を変えたいとか生まれ変わりたいと願うのに、
アビバだけは、ただただ自分に素直で、我が道を進んでいます。
けれどそれが正しいとか純粋であるとかいうことでもなく、
むしろ、その行動のもたらす愚かさも充分見えてしまうのです。
終盤近くで、いとこのマークが、
「人は運命で決まっている。自分が変われると思うのは間違いだ。
年をとっても、痩せたり整形したりしても、決して本質は変わらない」
といったことをアビバに話します。
それは実に救いのない言葉ですが、真実であるとも言えます。
アビバは愛する子どもを得たい、その一心で行動していて、
それは誰よりも揺るぎのないことのように見えますが、
けれど、自分を変えたくないとは思っていない。
子どもを持つことで自分も変われるかも、と思っているのかも知れない。
だから、マークの言葉を素直に受け入れることもしません。
またこの言葉は、見た目の異なる俳優がアビバを演じても、
アビバ自身はひとつ、という監督の意図も表現していると思いました。
愛を知る?アビバ
原題は「Palindromes」”palindrome”は"回文"という意味で、
登場人物の名前”Aviva”や"Bob""Otto"などでも表されています。
また、アビバ自身の行動はもちろん、サンシャイン家の善意と悪意、
娘を思い、それに基づいた行動をしたはずなのに裏目に出てしまうアビバの母の、
そんな自分を変えたいと思う気持ちと変えられない現実・・・など、
善と悪、裏と表など、対比するものがいくつも登場しますが、
それらは両極なのではなく、グルグルと回っている、
あるいは必ず元の位置に戻る、という意味なのかなと思いました。
決して気分の良くなる作品ではないけれど、
クセになる、というのとも違う・・・この感覚は、ほかにはない不思議なもの。
やはりこれからもトッド・ソロンズ作品は見続けるのだろうなとしみじみ思いました。
Palindromes(2004 アメリカ)
監督 トッド・ソロンズ
出演 エレン・バーキン スティーヴン・アドリー=ギアギス マシュー・フェイバー デブラ・モンク
ジェニファー・ジェイソン・リー シャイナ・レヴィン シャロン・ウィルキンス ウィル・デントン
タグ:映画
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